「天才って言われすぎんのも」FW柿谷曜一朗35歳の電撃引退、“元問題児”が愛されたワケ…30歳時に話した「限界が、と思ったら潔く辞めます」(Number Web) – Yahoo!ニュース

サッカーファンが柿谷の才能に衝撃を受けたのは、2006年9月のこと。 2007年のU-17W杯出場を懸けたAFC U-17アジア選手権でエースとして活躍。決勝の北朝鮮戦では2点ビハインドの状況で、中央から来たパスに対して相手マーカーの頭上を抜くボールコントロールで置き去りにするや否や、右足を豪快に振り抜くスーパーゴールを叩き込み、チームの逆転勝利を牽引した。翌年のU-17W杯フランス戦でもハーフライン上から超ロングシュートを決めるなど、イマジネーションあふれるプレーから「ジーニアス(天才)」の異名がついた。 下部組織時代から柿谷が所属したセレッソ大阪の象徴である森島が、冒頭のように話すのも納得のきらめきだったのである。 しかし……若き日の柿谷は問題児だった。プロ4年目の09年、練習に遅刻を繰り返すなどの素行不良で、積極起用していたレヴィー・クルピ監督の逆鱗に触れた。結果、“懲罰”とも表現できる徳島ヴォルティスへの期限付き移籍となった。 当時について、柿谷はこう語っていたことがある。 「サッカーをするにあたって、誰でも普通にやるべきことが僕にはできてなかったことが徳島に行ってよくわかりました」 ただここで“消えた天才”とはならなかったのが、柿谷の非凡たるところなのだが……。

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