奔放、そして孤高 不屈の横綱がのぞかせた「本音」 照ノ富士引退

大関昇進後も横綱・日馬富士(左)との稽古で泥だらけになり、苦しい表情を浮かべる照ノ富士。毎日「緊張する」という稽古場の雰囲気が成長を促した=東京都江東区の伊勢ケ浜部屋で2015年9月6日、岩壁峻撮影

大相撲初場所で幕内優勝10回の横綱・照ノ富士(伊勢ケ浜部屋)が現役を引退した。3場所ぶりに本場所に戻ってきた一人横綱に進退を問う声は上がっておらず、横綱審議委員会も静観の構えだった。だが、角界史に残る復活劇を遂げた執念とは対照的に潔さも漂わせ、角界の第一人者は土俵に別れを告げた。

大相撲への憧れを幼少期から抱いていた。

同郷の元横綱・白鵬(現宮城野親方)に中学時代に初めて対面し、小遣いをもらったことも。生まれ育ったモンゴルで大学に飛び級で進んだという秀才は、2010年に強豪・鳥取城北高に相撲留学し、その後に元横綱・二代目若乃花が師匠の間垣部屋の門をたたき、「若三勝」のしこ名で11年5月の技量審査場所で初土俵を踏んだ。

入門当初は身長191センチ、体重161キロで、稽古(けいこ)場では三段目時代でも、十両力士と互角以上に渡り合った大器だった。その才能がさらに開花したのは、師匠の健康上の理由で間垣部屋が閉鎖され、13年春場所後に伊勢ケ浜部屋に移籍してからだ。

横綱・日馬富士を筆頭に、業師の安美錦(現安治川親方)や正攻法の宝富士――。タイプの違う力士にもまれ、同年秋場所に十両へ昇進した。関取となるとしこ名も「照ノ富士」と改めて十両を所要3場所で通過し、14年春場所で新入幕を果たした。

番付を駆け上がっていた当時の取材では奔放な言動が目立ち、「書くなよ」と自ら制することも。やんちゃな印象が強かった。ただ、時折口にする本音も聞き逃すことができなかった。

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