初の日本一に輝き、胴上げに感激の表情を見せる阪神の吉田義男監督=1985年11月2日、西武球場
プロ野球阪神の名遊撃手で、監督として1985年に球団初の日本一に導いた吉田義男さんが3日、脳梗塞のため死去した。91歳だった。阪神が4日に発表した。
藤川球児監督、粟井一夫球団社長は、球団を通じて以下のようにコメントした。
藤川監督「突然の訃報に驚いています。偉大な大先輩であり、またお元気な姿で再会して叱咤激励いただけるつもりでいましたので、残念でなりません。素晴らしい先輩方が作り上げた伝統を、私たちが責任を持って受け継ぎ、また次の世代に繋いでいきたいと思いますし、天国の吉田さんに良い報告ができるように、目の前のことに全力を尽くしてシーズンを戦っていきます。故人のご冥福を心よりお祈りいたします」
粟井社長「この度は突然のことで、大変驚いております。心よりお悔やみ申し上げます。昨年もお元気な姿を拝見しておりましたので、信じ難いというのが正直な気持ちです。現役時代は、華麗な守備で『牛若丸』と称され、監督としても日本一に導かれるなど、多くの功績を残し、現在も『23番』の背番号は当球団の永久欠番となっております。また、退団後も球団関係行事へ献身的にご参加いただくなど、長きにわたって球団の発展へ貢献いただいたことに対し、あらためて感謝の意を表するとともに、これまでのご功績に敬意を表し、心よりご冥福をお祈りいたします」