「カズレーザーと学ぶ。」に出演するため日本テレビへ。常に自分の挑戦すべきものを探して向き合っている。「僕は僕にしか歩めない道を行きたい。いろんな経験を経て、自分にしかない魅力を磨きたいです」(写真/植田真紗美)
愛流が本格的に俳優業をスタートさせたのは3年前だ。2023年には映画「少女は卒業しない」で俳優・河合優実を相手に印象的な役柄を演じ、ドラマ「最高の教師 1年後、私は生徒に■された」での存在感も話題になった。今年はすでに映画4本に出演。最新作の映画「恋を知らない僕たちは」ではその自然な佇(たたず)まいにハッとさせられた。取材を始めてからの数カ月でも分刻みに進化しているように感じる。なによりハッとさせられたのは本人のキャラクターだ。前出の篠原も言う。
「会う前はもっと自信たっぷりで周りを寄せ付けない感じなのかなと思っていたんです。でも全然違いました。礼儀正しいし『ピュア』の一言につきる。何かを疑ったことがないんじゃないか?って思う。僕が『俺、子ども8人いるんだけどさ』と言っても『え、そうなんですね』ってするっと信じそうな気がするんですよ」
ホントにそうですよね!と大きく相づちを打ってしまった。俳優・窪塚洋介を父に持ち、身長182センチの恵まれたルックス。そこから想像するイメージとは裏腹に、インタビューの受け答えも居住まいも愛流には「いい青年だなあ!」と素直に思わせるピュアさがある。デビュー前の高校時代にはインスタライブ中に酔って寝落ちした父に代わり、つけっぱなしのカメラを「すみません、消しますね」と切ってSNSで「しっかりしてる」「神回!」と話題になったり。5月下旬に行われた「ボクの穴~」の合同取材会では、篠原を含むWキャストのなかで最年少ながら、笑いを交えた回答で場を盛り上げていた。愛流は言う。
「父親にも母親にも『絶対、グレると思ってた』と言われました。でも小さいころからどこか責任を感じていたというか、気をつけていたんですよね。もし自分が何かしたら父親や叔。父たちの名前に傷を付けてしまうかもしれない、周りを巻き込んではいけないって」
どうしたらこんな好青年ができあがるのだろう。
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愛流は2003年、神奈川県横須賀市に生まれた。父・洋介は当時24歳、ダンサーの母は20歳。「自分の身の回りの人にも愛を循環させて、みんなを幸せにしてほしい」との意味を込めた「愛流」と名づけられた。窪塚家は父・洋介を筆頭に、叔父の窪塚俊介、RUEED(ルイード)がそれぞれ俳優、レゲエミュージシャン、母の妹もダンサーというアーティスト一家だ。愛流は幼いころからライブや撮影現場、母のダンスの練習場などに連れられて育った。幼少期にハマっていたのは絵を描くことと、「ごっこ遊び」。戦隊もののごっこ遊びではいつも人気のヒーロー役を人に譲り、もっぱら悪役担当だった。
「母によく言われたのは、昔から自分のものやお菓子を『どうぞ』って相手に譲ってあげる子だった、って。たしかにそうでしたね。性格なのかもしれません。そういうのが自分の役割なんだって思っていました」
叔父の俊介も証言する。
「愛流は小さいころから自分が決めるよりも先に『俊くんはどうするの?』と聞いてくるんです。自己犠牲というとちょっと言い過ぎですけど、まず相手の気持ちを考える優しい心、思いやりを持っている子だなと」
小学校2年に上がる年に東日本大震災が起き、原発事故の影響を懸念した洋介が家族で大阪に引っ越すことを決めた。友達と急に別れることになった悲しさを記憶している。最初は大阪での暮らしになじめなかった。父の決断はマスメディアの興味の的となり、記者に自宅に押しかけられて怖い思いもした。転校先の小学校でも「窪塚洋介の息子」という目で見られ、このときばかりは自分の家庭環境をうとましく思った。
だが、まもなく近所に2歳下の友人ができ、その弟とも仲良くなった。翌年に両親が離婚してから小6までの期間はその友人の家で過ごすことも多く、彼らとは兄弟のように育った。その間も父の家と母の家を往来して同じ年月をともに過ごした。父が再婚し、新しい母と妹ができた今も、家族ぐるみで実母との関係は続いている。
「たぶん自分は普通の人が経験していない育ち方をしているんです。いろんなところを転々としてきたので、いろんなところに家族といえる存在の人がいる。母と、今の母と、しばらく一緒に過ごした友人の母。お母さんが3人いる、みたいな感じです」
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舞台「ボクの穴、彼の穴。W」の稽古風景。窪塚は言う。「戦争という題材ではあるけれど、すごく現代的な要素が詰め込まれている。いまの時代を生きる若い世代にも響くところがあると思います」(写真/植田真紗美)
愛流について、人の懐に自然に入り込むような人懐っこさは子どものころからだと、ラッパーのケン・フランシス(21)はいう。小4からの友人で中学時代も一緒につるみ、愛流のやんちゃな一面を知る一人だ。そもそも仲良くなったきっかけがおかしい。
「たまたま一緒になった帰り道で『好きな子教えて?』って、かなりしつこめに聞かれたんです。いなかったけど強いていうならこの子かな、という名前を『絶対、言わへん』って約束で教えたら、次の日には全員が知っていた。ほんまにこいつ許さへん!と思いました(笑)」
修学旅行中、「お菓子は禁止」と言われたバスの車内で「フエ(笛)ラムネ」をピーピー吹いて翌朝みんなの前で反省させられたり、合唱コンクールの指揮者をやったときには全員に向かって変顔をし続けて、クラスの順位を最下位にしたり。愉快かつ優しさのにじむエピソードが山ほどある。
「この間も自分の誕生日にいきなり『下に降りてきて』って。行ったら東京からわざわざ大阪にプレゼントを持ってきてくれていた。びっくりしましたね。サプライズ好きなんですよね」
やはり環境の影響か、愛流は子どものころから息をするように漠然と「俳優になりたい、なるかもしれない」と思ってきたと言う。その姿を最初にカメラに収めたのは映画監督の豊田利晃(55)だ。2015年、移住先の小笠原諸島に親交のあった洋介を呼んで映画「プラネティスト」を撮った際、小5の愛流が父に連れられてやってきた。
「ドキュメンタリーだから脚本もないんだけど、愛流はいい動きをするんですよ。いいところでいいことを言ってくれたり。『勘がいいな、この子は』と思った」
愛流も当時を憶えている。
「僕が目立ちたがり屋だっていうこともあるのですが、普通に歩いているシーンで僕がジャケットを脱いで父親に渡すとそれだけですごく家族っぽい絵になるな、とか、無意識に動いていました」
2年後、豊田は映画「泣き虫しょったんの奇跡」で主演の松田龍平の少年時代役に愛流を抜擢(ばってき)する。実在の棋士・瀬川晶司の半生を描いた作品。愛流は瀬川の将棋の指し方の癖を憶えるために、授業中ずっと消しゴムで駒を置く練習をした。それでも現場で「ボロボロになった」と振り返る。
「手は震えるわ声は震えるわセリフは飛ぶわ、歩くシーンでは右足と右手が一緒になっちゃって」
最大の難関は親友との対局に負けてトイレで泣くシーンだった。「泣け」と粘る豊田を前にどうしても泣けず、結局ハッカを塗って涙を流した。
「終わって『お前、まだまだだな』みたいなことを言ったとたん、愛流がその場で泣きだしたんです。『それ、本番中にやれよ』って(笑)。そのあとずっと泣いていました。よっぽど悔しかったんでしょうね」(豊田)
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(写真左から)同じ舞台に立つボクB役の篠原悠伸と愛流、WキャストでボクBを演じる井之脇海、A役の上川周作と合同取材を受ける。愛流は最年少ながら笑いを交えた受け答えで場をなごませていた(写真/植田真紗美)
ただ、まだ愛流に演技の道に進む決意は固まっていなかった。決心したのは高校時代だ。一芸に秀でた若者が集まるクラスで「何者かになっていく」同級生たちに刺激された。一時は大学に進学することも考えたが、「目の前に俳優しかなくて、それをつかまなかったらどこまでも墜ちていくような気がして、その職業をがむしゃらにつかんだ、というのが大きいです」
父に「俳優になりたい」と伝え、返ってきたのは一言「なめんな」。そのときは「なめてねえよ」と返したが、いまその意味をかみしめている。
「たぶん僕が深く考えていないように見えたんだと思うんです。甘い世界じゃない、一筋縄ではいかないぞ、と、いまになって深い言葉だった、と思います」
実際、父は知り合いに相談し、事務所の面談をセッティングしてくれていた。そして高校2年の1月から「俳優・窪塚愛流」が始動した。
実はそのころ父とは喧嘩(けんか)も多かった。高校時代の愛流は「遅れてきた反抗期」。日常生活のなかで怒られるたび父に「東京に行かすぞ!」と言われ続けていた。7回目に言われたとき「じゃあ出てったるわ!」と勢いで返すと、翌朝、引っ越し業者の段ボールが部屋に積まれていた。「3日後に出ろ」と言われて、あっけなく追い出された。父子を知る所属事務所のマネジャーは言う。
「愛流は本当に大阪が好きなんです。友達もたくさんいるし。当時の洋介さんはそうした環境からの自立を促したんでしょうね」
父からはアドバイスも受けている。ドラマ「ネメシス」で妹のために詐欺の受け子をしてしまう少年を演じたとき、悲しい感情を出す際に下を向いて芝居をした。放送を観た父に言われた。「逃げるな」。愛流は思い返して言う。
「カメラが僕のほうを向いてくれているのに、表情を隠すなんてもったいない。そういうときこそ逃げずに顔を上げて、表情で表現しろと。父親ながら『かっけえ……』って思いました。まあ向こうは酔っ払っていたんですけど(笑)」
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窪塚家には祖父母をはじめ一族全員参加のグループLINEがある。「毎日何かしら家族で話してます」(愛流)。愛に溢れたファミリーがその活躍を見守っている(写真/植田真紗美)
同じ俳優の道を選んだ以上、父の存在と向き合わずにはいられないはずだ。前出の叔父・俊介も23歳でデビューした当初、「窪塚洋介の弟」と言われることにへきえきした時期もあったと打ち明ける。
「兄貴は好きだし別に嫌じゃないけど、やっぱりうっとうしいですよね。その気持ちを超えられたのは30歳前後になってから。いま弟のRUEEDとよく言うんです。『愛流はよくあの感じでいられるね』って。兄貴の話をされることは多いだろうし、でもすごく真摯に答えている。まあ心のなかでは『くそっ』って思っているかもしれないけど(笑)」
俳優として、息子として、父のことをどう思っているのだろう? あらためて愛流に聞くと存外にてらいのない答えが返ってきた。
「憧れていました、ずっと。この人にはなれないなと小さいときから思っていたし、いまも思います。でも彼は彼だけで十分。父にはなくて僕しか持っていないものもあると思う。だから父とは違う道を行こうと思っています。いろんな経験を経て僕にしかない魅力を磨きたいし。それに僕の世代になると父のことを知らない人も多いんです」
事実、一作品ずつ手探りで、新たな壁や課題を乗り越えてきた。最新作の映画「恋を知らない僕たちは」で感じた進化を伝えると「うれしいです」と、顔をほころばせる。
「これまで自分の演技を見るのがちょっと気持ち悪かったんです。慣れていないせいもあるのですが、必要以上に演じすぎてるのかな、とも感じていた。『恋を知らない~』では良い意味で演じることをやめた、みたいな感覚がありました。だから完成した作品で自分で自分を見ても、初めて眉間に力が入らなかった(笑)」
そしていま初舞台へとたどり着いた。叔父・俊介が出演する舞台を見て「挑戦してみたい」という気持ちが湧いてきたのも理由だ。「稽古が始まってから毎日、へこんでいます」と苦笑いするが、それでも少しずつ役をつかみつつある。
「だんだんボクAっていう役が体に入ってきてるというか。普段家にいるときの感情と、戦場にいるAとの感情が重なっているな、と感じるときがあったりもして。まだまだ本番までに形が変わっていくと思います」
俳優のおもしろさも少しわかってきたという。
「自分の演技にはずっと満足していないんです。でも、たぶんそれは俳優をしていくなかで切り離せないものだと思います。それがなくなったら逆に終わりじゃないかなって。それに僕は学生時代から何かに対してがんばっていたことがなかったんです。陸上や習い事もやりたくないと思ったら辞めていました。でもこの仕事は初めて、自分の思い通りにならなくてすごく悔しかったとしても『諦めることをしたくない』と思えるんです。だからこそ、乗り越えたい、みたいな。自分を一番成長させてくれるものってこれなのかなって」
俊介もそんな甥っ子の姿を見守っている。
「愛流の素直さや真摯さはきっともう演技にも出ているから、そこに狂気みたいなものが混在してほしいなと思いますね。窪塚洋介がやってきたような狂気ではなく、愛流の持っている闇や狂気を見てみたい。この仕事ではそういう部分もプラスになりますから」
愛にあふれた「窪塚ファミリー」に支えられ、愛流はまだまだ先を目指す。
「僕は父親に夢をもらったんです。役を演じている父は、体は父だけれど中身が全然違う。俊介君もそうです。それをシンプルにかっこいい!と思って、俳優になることが夢になった。そしていまここにいられている。そのことをありがたいな、と思います」
愛が流れるという名のとおり、俳優という仕事を通して、人になにかを渡せればと願っている。
「僕、人に何かをするのがすごく好きなんですよ。プレゼントをあげたり、もらったものをシェアしたり。だから演技を通してちっぽけでも、誰かのなにかの力になりたい、って思います」
その想いはきっともう、誰かに渡っている。
(文中敬称略)(文・中村千晶)
※AERA 2024年9月16日号に加筆