「常識を疑い、自ら決断」「動けなくなるまで日本野球の力に」…野球殿堂入りのイチロー氏

野球殿堂博物館(東京都文京区)は16日、2025年の野球殿堂表彰者を発表した。新たに4氏が選ばれ、殿堂入りは222人となった。競技者表彰のプレーヤー部門で、日米通算4367安打を放ったイチロー氏(51)が323票を獲得。史上7人目となる候補者入り1年目での殿堂入りとなった。

野球殿堂入り通知式でスピーチをするイチロー氏(16日)=代表撮影

「日本で9年、アメリカで19年にもかかわらず、日本の野球殿堂に迎え入れていただき、非常に感謝しています」。ゲストスピーカーとして列席した王貞治さんらが見守る中、開口一番、謝意を述べた。

オリックス時代の1994年、史上初のシーズン200安打となる210安打をマーク。マリナーズ4年目には262安打を放ち、大リーグ記録を84年ぶりに更新した。その原動力について、「多くの人が常識だと思っていることを疑い、大事な決断は自らしてきた」と振り返る。

疑問視する球界関係者もいる中、独特の「振り子打法」を貫いた。パワー重視だった当時の大リーグでは「何かを考えてもらうきっかけになる」と、体の使い方を工夫するなどして大きな本塁打も放ち、大リーガーをうならせた。「記録とは切り離せない立場」に時に苦しみながら、日米球界に影響を与える無二の存在となった。近く発表される米殿堂入りの有力候補にも挙がる。

オリックス時代のイチロー氏(1999年7月)

指導方法やデータ重視など取り巻く環境が変わりつつある野球界。現役引退から5年たった今、未来を担う高校生らとの触れ合いを大切にしている。「せめて子供たちが向き合う野球は純粋なものであってほしい。時代で変わっていくものはあるが、変えてはいけないものもある」という思いだ。

「動けなくなるまで日本野球の力になりたい」。数々の記録で彩られた野球人生は、伝道師としてこれからも続く。(下村征太郎)

イチロー 本名・鈴木一朗。愛知・愛工大名電高から1992年にドラフト4位でオリックスに入団。登録名をイチローに変更した94年に史上初の200安打となる210安打をマークし、この年から7年連続でパ・リーグ首位打者。2001年から米マリナーズに所属し、04年にシーズン262安打を放って大リーグ記録を更新。10年まで10年連続200安打を記録した。日米通算ではピート・ローズ(故人)の大リーグ記録4256安打を上回る4367安打。

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