“復興のシンボル”とされた再開発事業が30年をかけてようやく完結したものの、かつてのにぎわいが戻っていない神戸市長田区の新長田地区。 再開発に翻弄(ほんろう)されてきた商店街の人々にとって、復興とは。
伊東正和さん(76)。神戸市長田区の大正筋商店街にある、お茶屋の2代目です。 【伊東正和さん】「あったまってくださいね」 【客】「これおいしいねん」 街の変化に翻弄され続けた30年でした。 【伊東正和さん】「震災前はみんなが協力して夏祭りしたら人がいっぱいいてる。子どもたちも。その明くる年に震災が来たわけ。 なんとか家族のため、自分の店、街のためにできたことが頭では頑張ろうと思うけど、体力も気力も続かない。それを30年という時間で一番感じました」 かつての大正筋はさまざまな商店が並び、にぎわいの絶えない街でした。 【伊東正和さん】「みんなが隣近所も、ついでと言って掃除したりとかなんかあったら助け合う。人情味がある」
1995年1月17日、震災で長田区では大規模な火災が発生。 大正筋商店街もほとんどが焼けてしまいました。 【当時の商店主】「商売やりたいですよ。1日でも早く」 お茶屋の伊東さんも、焼けていく店をなすすべもなく見つめるしかありませんでした。
それでも、わずか半月後、店があった場所に伊東さんは商品を並べ始めました。 【伊東正和さん】「友達からベニヤ板や廃材を借りて台にして。お茶一筋で来たから、商売しかできない」 焼けた街に訪れる客の姿は、商店街の人たちの背中をそっと押しました。 その年の6月には、伊東さんたちが中心になって立ち上げたテント型の仮設商店街「パラール」がオープン。 大勢の客が訪れ、店主たちも興奮。 商店街の復興に向けたシンボルにもなっていました。 【伊東正和さん】「あの時、皆の気持ちが一致団結したらできないことはないぐらい、みんなのためにというのが自然とあった」