イチロー氏 満票での米殿堂入りならず 報道陣ため息も「ジーターと一緒。不完全はいいな」人生観語る(スポニチアネックス)|dメニューニュース

マリナーズのスタッフからの祝福に笑顔のイチロー氏(AP)

◇イチロー氏 アジア出身初の米野球殿堂入り 米国野球殿堂は21日(日本時間22日)、今年の殿堂入りメンバーを発表し、マリナーズなどで通算3089安打した資格1年目のイチロー氏(51=マ軍会長付特別補佐兼インストラクター)が日本選手、アジア出身として初選出された。史上2人目の満票選出こそ逃すも、有効投票394人中、393人が投票。マ軍から背番号51が日本選手初の永久欠番になることが発表された。式典は7月27日(同28日)にニューヨーク州クーパーズタウンで実施される。 わずかに1票足りなかった。午後3時過ぎのTモバイル・パーク。ヤンキースで史上最多通算652セーブのマリアノ・リベラ氏以来2人目、野手として初の満票を逃したことが伝えられた日米約50人の報道陣はどよめき、ため息が漏れた。しかし、会見場に現れたイチロー氏だけは受け止め方が違った。 「1票足りないというのは、凄く良かった。しかも、ジーターと一緒。自分なりの完璧を追い求めて進んでいくのが人生だと思う。不完全であるというのはいいなって」 12〜14年にヤンキースで同僚だったデレク・ジーター氏も、同様に資格1年目に満票に1票足りなかった。得票率はそのジーター氏に次ぐ歴代3位の99・746%。「生きていく上で不完全だから進もうとできる。そういうことを改めて考えさせられる。そこに向き合えるのは良かった」と続けた。 04年にシーズン最多262安打を記録するなどメジャー通算3089安打を積み上げた。10年連続ゴールドグラブ賞、歴代35位の通算509盗塁と米球界に衝撃を与え続け、選出は確実視されていた。日本野手で初めてメジャー挑戦した01年当初は細身のアベレージヒッターの力を疑う声もあっただけに、殿堂入りは「地球上の誰も想像できなかったと思う。一歩ずつ近づいて、この日を迎えたことは言葉では言い表せない」と胸を張った。 着用した背番号「51」が球団の永久欠番になること、8月9日(日本時間10日)にそのセレモニーが行われることも発表された。「サインする時に51がずっと使えるのはうれしい。51歳なので、そのタイミングでこれはなかなか」と笑った。ジャケットと、胸にドアが描かれたTシャツ姿には「ノブの部分が野球のボールになっている。メッセージとしては自分が好きなことを見つけて、夢中になることに飛び込んでいこう。そのドアを開けていこう。そんなメッセージ」とちゃめっ気たっぷりだった。 日米通算4367安打で19年に現役引退した同氏は16日に日本の野球殿堂にも選ばれ、日米での殿堂入りはもちろん初めて。近年は高校野球の指導など、アマチュア球界へのアプローチにも力を入れる。「野球人として次の道に進んでいきたい。あくまでも僕は今をどう生きるかを考えていきたい」。イチロー氏らしく、過去ではなく前へ視線を向けた。 ▽米国野球殿堂 米野球界に貢献した選手、監督、審判らを顕彰する。競技者部門はメジャーで10年以上プレーし、最後にプレーしてから5年以上経過した元選手が対象。全米野球記者協会に10年以上在籍する会員が投票し、75%以上得票で殿堂入り。選考期間は10年間で、得票率が5%に満たなければ翌年の対象から外される。選考は1936年に始まった。会員投票とは別に、選考委員が時代別に功績を残した選手らを選ぶ方式もある。殿堂博物館はニューヨーク州クーパーズタウンにあり、式典が開かれる。 ◇イチロー(本名・鈴木一朗)1973年(昭48)10月22日生まれ、愛知県出身の51歳。愛工大名電では2年夏、3年春の甲子園に出場。91年ドラフト4位でオリックス入団。94年に登録名を「イチロー」に変更し、同年に当時シーズン最多記録の210安打を放ってMVP、首位打者に輝く。首位打者は00年まで7年連続。マリナーズに移籍した01年にMVP、首位打者。04年には大リーグ記録のシーズン262安打を放ち、10年まで10年連続シーズン200安打。ヤンキース、マーリンズでもプレーし19年3月に現役引退。06、09年WBCで世界一。右投げ左打ち。【米殿堂入り 日本人は初】 米国野球殿堂は元メジャーリーガー278人を含む351人となった。00年以降では、51選手が記者投票で選出。うち1年目で選ばれたのは28人で54.9%。うち95%以上は10人しかいない。「99%クラブ」の4人以下は、カル・リプケン(98.5%)、トニー・グウィン(97.6%)、ランディ・ジョンソン(97.3%)、グレグ・マダックス(97.2%)、チッパー・ジョーンズ(97.2%)、エイドリアン・ベルトレ(95.1%)。日本からは初選出で、米国以外はキューバ6人、ドミニカ共和国5人など中南米が中心。【日本選手候補入りは過去に2人だけ】

日本選手で過去、米野球殿堂の候補に入ったのは2人しかいない。「パイオニア」として活躍し、両リーグでノーヒットノーランを達成した野茂英雄氏(元ドジャース)が14年に初めて候補入り。結果は6票(1.1%)だった。松井秀喜氏(元ヤンキース)は18年に候補入りも4票(0.9%)に終わり、ともに得票率が5%に満たなかったため翌年の候補から外れた。日本の野球殿堂では2人とも候補1年目で殿堂入りしている。

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