三浦知良、フランスW杯落選時の代表離脱の裏側明かす「岡田さんの『自分の判断で帰した』は違います」|au Webポータル

元サッカー日本代表FWの三浦知良が20日放送の日本テレビ系「しゃべくり007 2時間SP」にゲスト出演した。

1998年のフランスW杯直前に日本代表の岡田武史監督(当時)が自身を代表から外した一幕について、「発表当日、外れた3人が呼ばれて。『カズ、外れるから』って普通に言われました。監督の部屋で。正直言って、外れるとは自分は思ってなかったです。年齢的にも一番上だったんで、僕が」と振り返ったカズ。

「ただ、岡田さんが(当時の現地での会見で)『自分の判断で(カズたちをキャンプから)帰した』というの(映像)が残ってるでしょ。あれは違います」と続けると、「あれは僕と北澤(豪)が『帰る』って言った」と明かした。

その上で「あの時は(選出メンバーが)22人だったと思う。で、25人いたと思うんです、(ともに外れた)市川(大祐)も入れて。この25人は最後まで行くって全員思ってたわけですよ。で、外れるけど、試合には出れないけど、チームとしてはパスも全部もらってる。ベンチには入れないけど、控え室には入れるという流れがあったんですよ」と続けると「僕と北澤というのはベテラン組だったんですね。で、自分たちはあのタイミングでは外されることはないって思ってたんですね。だから、25人というのは外れる3人のいい経験になるって中で反対じゃなかった。でも、いざ、自分になった時には、やっぱり若い人だったらいいけど、僕の考えだと、プロだから働く場所がなかったら帰るべきだと思ったんですね」と明かした。

「だから、僕は帰るって言ったんです。協会としては、岡田さんとしては一緒に来てほしいっていうのはあったと思います」と話すと「北澤も『カズさん、どうするんですか?』って言うから『いや、帰るよ。試合に出られないなら意味がない』って。僕はその時、そういう考えだったんで。はっきり決めて『帰ります』って。僕らの考えを尊重してくれて、帰らせてくれたんですね」と続けていた。

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