佐々木朗希、世界最高の投手へ覚悟 過密日程、時差ある長距離移動など「適応一層頑張らなきゃ」 – MLB : 日刊スポーツ

ドジャースの入団記者会見で背番号11のユニホームに袖を通し、撮影に応じる佐々木朗希投手。背ネームには「R.SASAKI」の文字が入った(共同)

【ロサンゼルス(米カリフォルニア州)22日(日本時間23日)=四竈衛】ロッテからポスティングシステムでドジャース移籍が決まった佐々木朗希投手(23)が、本拠地ドジャースタジアムで入団会見を行った。東日本大震災で被災した自らの経験とロスの大火災を重ね「LAの皆さんと前を向いて頑張っていく」と、力強く抱負を口にした。背番号はプロ入り前に付けていた「11」に決定。2月11日(同12日)のバッテリー集合日から大谷翔平投手(30)、山本由伸投手(26)と一緒に本格的なスタートを切る。

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晴れやかなステージ上で、佐々木は新本拠地の近郊で今も苦難と向き合っている市民の心に思いをはせた。新背番号「11」のユニホームに袖を通し「ゼロからスタート。身が引き締まる思い」と口元を引き締めると、山火事の被害に遭い途方に暮れる被災者へ向け、静かな口調ながら力強いメッセージを送った。

佐々木 自分も被災して苦しい思いをしましたが、自分の目標は見失わないこと、前を向き続けること、それだけは忘れないようにしていました。ロサンゼルスの街も、今このように辛い状況ですが、今日から自分もドジャースの一員として、ロサンゼルスの皆さんと前を向いて頑張っていきたいと思います。

11年3月の東日本大震災で父と祖父母を亡くした右腕にとって、今回の大惨事は人ごとではなかった。

「25歳ルール」でマイナー契約しか結べないという制限がありながらも、23歳で米球界挑戦を決断した。プロ1年目で右肘を痛めてマウンドに立てなかったことが、米球界移籍への思いを加速させた。「あと2年待てばという声も多く聞きますけど、その2年をどういった状態で迎えられるか、保証はない。お金だったりそういったものよりも、この2年間を(米国で)過ごす時間の方が僕にとって価値のあるものだと判断しました」。時速160キロ超の快速球派。出力が高い分、故障のリスクもつきまとう。異論があることを覚悟した上で「自分の定めた目標を信じ、自分の可能性を信じてくれる人たちのため」にも、夢の挑戦に踏み切った。

米球界でも現役最高と評される佐々木の潜在能力を、疑う者はいないだろう。だが、日本での4年間で最多投球回数は22年の129回1/3。昨季も111回と、1度も規定投球回数をクリアできなかった。メジャーならではの過密日程、時差のある大陸間の長距離移動など、克服すべき条件は多い。佐々木自身も「全部足りないと思っています」と、そのあたりは十分に認識。「試合数は日本より多いので、適応は一層頑張らなきゃいけないと思っています」と覚悟はできている。

軽妙な笑いや、しゃれた英語のフレーズで米国ファンの心をつかむのではなく、日本語で心を込めて思いを伝えた。日本人初のサイ・ヤング賞、そして世界最高の投手へ-。前を向き続ける佐々木は、あくまでも自分らしく、スタートラインへ向かった。

○…佐々木は入団会見に、愛犬ラムがプリントされた靴下で臨んだ。地元メディアからの質問に「黒のトイプー(トイプードル)で誕生日が(11月3日)一緒」と説明した。靴下は母陽子さんから昨年の誕生日にもらったもの。完全試合を達成した22年にテレビの前で応援するラムがロッテ球団のX(旧ツイッター)に投稿され、既にファンの間では人気となっている。

◆佐々木の今後の日程 代理人事務所によると、入団会見を終えた佐々木は、一両日中にも一時帰国。その後は移転準備をしつつ、就労ビザが取得でき次第、再渡米する予定。ド軍のバッテリー組集合日となる2月11日(日本時間12日)には、米アリゾナ州グレンデールのキャンプ施設で、大谷、山本、佐々木の「侍トリオ」が、ド軍のユニホーム姿で勢ぞろいすることになりそうだ。

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