大相撲初場所4日目、翔猿(右)の攻めを受ける照ノ富士(15日)=大石健登撮影 【読売新聞社】
両膝には大きなサポーターが施され、糖尿病も抱えながら綱を張ってきた照ノ富士。強い責任感を糧に、満身創痍(そうい)で一人横綱の重責を担ってきた男が土俵を去る。
最近は相手というより、持病や古傷と向き合う時間が長かった。初土俵から4年で大関へ上がり、横綱昇進も時間の問題と思われた。だが、2016年初場所で膝を痛めて初めて休場すると力士人生が暗転し、度重なる休場を経て序二段まで転落した。本人も「引退を考えた」と言うが、師匠の伊勢ヶ浜親方(元横綱旭富士)は「まずは体を治してから」と再起を促し、そこからの復活劇はドラマを見ているようだった。大関で2回、横綱で1回と計3回の昇進伝達式で使者を迎えたのは誇らしい勲章だ。
後輩の指導にも積極的で、巡業では大関にも惜しまず声を掛ける。「気づいたことは伝える。それをどうするかは本人次第だけど」と少し照れくさそうに話すが、弟弟子の尊富士が「勝って結びの横綱に良い形でつなぎたい」とよく語るように、伊勢ヶ浜部屋の力士には「横綱のために」という連帯感がある。
幕内優勝10回は立派だが、横綱昇進の口上で述べた「不動心」という言葉を体現し、どん底からはい上がってきた姿こそが、長くファンの心に残る。(下山博之)