江戸時代の浮世絵師のなかでも、美人画において数々の革新的な表現を開拓し、一世を風靡したのが喜多川歌麿である。蔦重に関する著作が多数ある伊藤賀一さんがこう解説する。 「歌麿は蔦重がプロデュースしてヒットに導いた、代表的な浮世絵師のひとりです。蔦重のお抱えの絵師として、初期には黄表紙の挿絵などを手がけました。蔦重と歌麿のコラボによって生みだされた本では、狂歌絵本が有名です。折しも大田南畝や朱楽菅江らが牽引する“天明の狂歌ブーム”の真っただ中で、歌麿の絵で出版された本は次々とヒットしました」(伊藤さん・以下同) 寛政期に入ると、蔦重は大きな苦悩の中にあった。耕書堂の屋台骨を支えていた朋誠堂喜三二が断筆、恋川春町が亡くなり、さらに山東京伝が手鎖の刑を受けてしまうのである。彼らの代わりを担うクリエーターはいないだろうか。そこで目に留まったのが歌麿であった。 「おそらく蔦重は、歌麿が女性を描くのがうまいことを、薄々勘づいていたのでしょう。美人画を描くようにと要請したのです。この頃、蔦重は風紀を乱す本を出したとして、財産の一部を没収されていました。起死回生のため、歌麿の美人画で大勝負に出たといえます」
方針転換は大当たりだった。歌麿の浮世絵はたちまち評判を呼び、停滞した黄表紙や洒落本の穴を埋めるほどのヒットを飛ばしたのである。歌麿の美人画が注目されたのは、それまでの美人画と比べて斬新な表現を多く用いた点にあった。最大の特徴は、女性の全身を描かずに、上半身のアップにすることである。 「女性の顔が画面いっぱいに描かれています。この“美人大首絵”こそが歌麿の真骨頂であり、官能的な表現はその後の浮世絵師に大きな影響を与えました。女性らしい絶妙なしぐさを描くことで、描かれた人物の内面に迫ろうとしたのが、歌麿の目指した美人画だったのです」 1791(寛政3 )~1794(寛政6)年にかけて、『婦人相学十躰』『婦女人相十品』『歌撰戀之部』 などの作品集を次々に発表し、いずれも大人気となった。それらの中でも特に『ポッピンを吹く女』や『寛政(江戸)三美人』は浮世絵史上の傑作として名高い。歌麿が描いたのは吉原の遊女や花魁、茶屋の娘などで、いずれも江戸に住む人々にとってはアイドルのような憧れの存在だったのである。
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「ポッピンを吹く女」 切手の図案にもなった歌麿の代表作。ポッピンを手にした女性の上半身をアップで描き、印象的なしぐさを捉えている点に歌麿の巧みな表現を見て取れる。 「婦人相學十躰・浮気之相」 歌麿の大首絵の連作。湯帰りで、手拭いを絞る女性が振り返った様 子を描いている。独特の髪形は貝髷(ばいまげ)といわれ、かんざし を使って巻貝のような形に髪を結ったもの。 「高名美人六家撰・難波屋おきた」 美人画は、江戸で評判が高かった女性を題材に描かれることが多かった。難波屋おきたは、浅草寺の近くにあったという茶屋の従業員とされている。
日本の美術史上、東洲斎写楽ほど名前が知られていながら、ミステリアスな浮世絵師は存在しないだろう。そんな写楽の謎を知っているのは、何を隠そう、蔦重なのである。というのも、写楽のすべての作品は耕書堂から発売されているためだ。伊藤さんが言う。 「1794(寛政6)年、蔦重は写楽が描いた役者絵を28 枚ほぼ同時に発売しています。役者絵とは歌舞伎役者などを題材に描いた浮世絵で、現代で言えばブロマイドのようなものです」 歌舞伎は江戸の人々の身近な娯楽であり、役者絵は版元にとって売れ筋だった。しかし、写楽のデビューはさまざまな面で規格外なのだという。 「例えば、歌麿は蔦重のもとで本の挿絵などを手掛けたのち、浮世絵師としてデビューを飾りました。写楽はそれまでに挿絵を描いたことすらありません。いわば、完全に無名の絵師、よく言えば期待の大型新人だったのです」 蔦重は写楽の才能に賭け、積極的に売り出そうと考えたのだろう。しかし、まったく仕事の経験がない浮世絵師の作品を28枚も一気に発売するとは、現代の感覚からしても、常軌を逸しているというほかない。こういった大胆な戦略がとれるあたりにも、蔦重の経営者としての才覚を見て取れるだろう。
蔦重はその後も写楽の役者絵を次々に発売した。ところが、わずか10か月後、写楽は忽然と姿を消す。それ以降は耕書堂からも、ほかの版元からも写楽の浮世絵は発 売されていない。そのため、ミステリアスな存在として正体を推測する人は多い。 「有力なのが、能役者の斎藤十郎兵衛です。阿波徳島の外様大名の蜂須賀氏に仕えた人物なのですが、異論もあります。そもそも彼に絵の才能があったのか、調べる術がないこと。何より、武家に仕える者が浮世絵の制作に手を出すと、処罰を受けることもあったため、リスクをとってまでそんなことをしたのか、はなはだ疑問なのです」 他にも歌麿や北斎などの浮世絵師が異名を使ったのではないかという説がある。興味深いのは、蔦重自身を写楽の正体とする説だ。 謎に包まれた写楽であるが、大首絵の技法を用い、役者の個性を強烈なまでにデフォルメした画風は、見る者に大きなインパクトを与える。写楽が日本美術史に燦然と輝く傑作を生みだしたクリエーターであることに、異論を挟む人はいないだろう。
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「二代目瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木」 「花菖蒲文禄曽我」という歌舞伎の演目で瀬川富三郎が演じた、武士の奥方を描く。岩絵具に雲母(きら)という石の粉を混ぜて印刷する、雲母摺という技法が用いられている。 「市川鰕蔵の竹村定之進」 五代目・市川團十郎は1791(寛政3)年に市川蝦蔵を襲名。おおらかな芸風で知られた歌舞伎界を代表する人気役者が、大胆な誇張表現を交えながら描かれる。 「三代目沢村宗十郎の大岸蔵人」 「花菖蒲文禄曾我」で沢村宗十郎が演じた、主人公の仇討ちを助ける大岸蔵人を描いた作品。明暗をくっきりと分けた画面構成で、役者の内面性までも際立たせている。 ◆番組情報 NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』 時にはお上に目をつけられながらも、出版・浮世絵で数々のブームを創出し、時代の寵児となった江戸のメディア王・蔦屋重三郎(演:横浜流星)。その波乱万丈の生涯を、笑いあり、涙ありの物語として描く。毎週日曜、20時からNHK総合などで放送。 ◆教えてくれたのは:伊藤賀一さん 1972年生まれ。京都市出身。スタディ サプリで日本史・歴史総合講師を務め、日本史全年代から日本美術まで精通。『これ1冊でわかる! 蔦屋重三郎と江戸文化』など、蔦屋重三郎に関 する本も多数執筆。 取材・文/山内貴範 ※女性セブン2025年1月16・23日号
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