野口五郎 歌手を夢見て13歳で上京もすぐに「最初に人生の挫折」 当時の父の心境を後で知り

歌手の野口五郎(68)が22日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月〜金曜後1・00)にゲスト出演。初めての挫折について語った。 歌手生活55周年を迎えた野口は、岐阜県出身で13歳で上京した。美空ひばりさんの「リンゴ追分」の作曲者・米山正夫さんの門下生となり「曲も出来上がって、デビューするということで上京したんですけど、10日後に先生の所へごあいさつに行ったら、声が出なくて」とのアクシデントに見舞われたという。 「変声期になっちゃったんですよ」と野口。米山さんからは「しばらくちょっと休もうよ」と言われたが、野口は「上京してすぐなんで。もう帰りたいし、夢はないし、未来と過去が一気になくなった瞬間でしたね」と絶望していたという。 「段々キーは下がっていくし、声はひずんでいくし、先生に書いていただいた曲も段々歌えなくなっていくし。いやあちょっと。一番僕の中では、最初に人生の挫折を味わったのが13歳でしたね」と振り返った。 岐阜をたつ際には友人たちから寄せ書きも送られていたが、「それには“錦を飾れ”とか“売れるまで帰って来るな”とか書いてあるので。幼かったから、これがあるから帰れないと思って。友達には申し訳ないんですけど、燃やしちゃったんですよ」と野口。 それでも「やっぱり帰ることもできないし」。当時は母・伊代子さんが工場で働いて貯めた金を父・進さんが月に一度渡しに訪れていたが、帰りに激励されると「親父に向かってダメっていうことを伝えたいんで」地下鉄の駅まで追いかけたが、父親は振り向くことなく去って行き、結局伝えることはできなかった。 司会の黒柳徹子が「辞めるかいっていうことになってたら、今のあなたはいないもんね」と話すと、野口は「獅子が子供を崖から落とすっていう話を聞いたことがあるんですけど、それ状態だなっていう」と回顧した。 数年前には仏壇から父が生前に酔っ払って書いたという走り書きが出て来たと言い、そこには野口がかつて父を追いかけて来たことに気付いており、「振り返ってしまったら、息子の夢を断念させることになるから、振り返らないように一生懸命前を見て地下へ入って行った。あんなことがよくもまあできたものだ」と記されていたとした。

野口は「後から知りまして」としたものの「とりあえず歌手としてデビューできたので。その後なんとか皆さんに聴いていただける曲も世の中に出すこともできて、良かったのかなと思いますけど」としみじみと話した。

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