1985年11月2日、球団初の日本一を達成し、胴上げされる吉田さん
プロ野球阪神で名遊撃手として活躍し、監督としては1985年に球団初の日本一に導いた吉田義男さんが3日午前5時16分、脳梗塞のため死去した。91歳。京都府出身。阪神が4日に発表した。現役時代は華麗な守備で「牛若丸」と称され、ベストナインには遊撃手歴代最多の9度選出。引退後は3期にわたり阪神の監督を務め、「ヨッさん」の愛称で親しまれたレジェンドが旅立った。
ヨッさん、逝く-。球団はこの日、吉田さんが3日午前5時16分に脳梗塞のため、死去したと発表。永久欠番「23」が2月3日に91年の生涯の幕を閉じた。
吉田さんは現役時代、華麗な遊撃の守備で「牛若丸」と称された
吉田さんは1950年、京都府立山城高2年時に夏の甲子園に遊撃手として出場(1回戦敗退)。3年夏は府大会で敗れた。立命大では1年生からレギュラーとして活躍したが、53年に中退して阪神に入団。「牛若丸」と称された華麗な守備で、阪神でも1年目から遊撃のレギュラーをつかむと、規定打席に到達して119安打(打率・267)を放つなど打撃でも存在感を見せた。
54、56年に盗塁王、55年には初のベストナインに選出されるなど不動の遊撃手として、62、64年のリーグ優勝にも大きく貢献。遊撃手でのベストナイン9度選出は歴代最多だ。69年にコーチを兼任後、同年をもって現役を引退(コーチも退任)。阪神一筋でプレーし、背番号「23」は87年に永久欠番となった。