日本海側中心に雪強まる 北陸~新潟 短時間で積雪急増のおそれ | NHK

今シーズン1番の寒気の影響で日本海側を中心に雪が強まっています。特に北陸から新潟県では帯状の雪雲を作り出す「JPCZ」がかかって短い時間で積雪が急増するおそれがあり、気象庁は大雪による交通への影響のほか、暴風雪、高波に警戒するよう呼びかけています。 気象庁によりますと、日本付近には今シーズン1番の寒気が流れ込み北日本から西日本の日本海側を中心に雪が強まっています。午前5時までの3時間に降った雪の量は▽岐阜県白川村で20センチ▽富山市の猪谷で16センチ▽北海道苫小牧市で12センチ▽兵庫県香美町兎和野高原で10センチなどとなっています。 風も日本海側を中心に強まっていて、ふぶいているところもあります。 このあとも強い寒気が流れ込むため、北日本から西日本の日本海側を中心に大雪となり、ふだん雪の少ない太平洋側の平地でも積雪となる所がある見込みです。特に、北陸から新潟県では、帯状の雪雲を作り出す「JPCZ」が北上するため、短い時間で積雪が急増するおそれがあります。6日朝までの24時間に降る雪の量は、いずれも多いところで▽東北と北陸、新潟県で100センチ▽東海と近畿で70センチ▽北海道と中国地方で50センチ▽四国で40センチ▽九州北部で20センチ▽九州南部で15センチと予想されています。その後も雪は強まり、7日朝までの24時間には、いずれも多いところで▽東北と北陸、新潟県で70センチ▽北海道と岐阜県、近畿で50センチ▽中国地方で40センチ▽四国で20センチ▽九州北部で10センチ▽九州南部で5センチの雪が降ると予想されています。さらに雪を伴った非常に強い風が吹き、海上は全国的に波が高くなって大しけとなるところがある見込みです。気象庁は、大雪による交通への影響や暴風雪、高波に警戒するとともに、着雪に伴う停電や倒木、雪崩に注意するよう呼びかけています。 落雷や竜巻などの激しい突風にも注意が必要です。 今回の寒波は、寒気が強い上、期間も長く続くのが特徴です。気象庁と国土交通省は大雪が予想されている地域では不要不急の外出を控え、予定の変更を検討するよう呼びかけています。 やむをえず車を運転する場合は、燃料を満タンにし、必ず冬用タイヤを装着した上で、立往生に備え雪かき用のスコップや防寒着、毛布、携帯電話のモバイルバッテリー、食料などを用意するようにしてください。

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フォルティウスが3連勝で1次リーグ突破 ママさんカーラーの吉村紗也香「今の自分は好きです」…カーリング日本選手権|au Webポータル

◇カーリング日本選手権 第3日(4日、神奈川・横浜BUNTAI) 女子の1次リーグを行い、フォルティウスが、フィロシーク青森を7―5で下し、無傷の3連勝を飾り、一番乗りで2次リーグ進出を決めた。 3―1で迎えた第4エンド(E)。不利な先行だったが、ナンバーワン、ナンバーツーを維持し、さらに前にガードストーン(石)を置きプレッシャーをかけると、最後に相手スキップのミスを誘い、2点をスチール。リードを広げ勝利を引き寄せた。吉村は「自分自身もそうですが、チームとしても良い感触を持っているので、明日も自信を持って戦っていきたいと思います」と自信を口にする。 スキップの吉村は23年12月に第一子を出産。2季ぶりに戦列に復帰し、「ママで五輪」を目指しているが、今大会で優勝しないとその道は断たれる。吉村は「出産を経験してまた戻ってきて、自分の変化っていうところで、メンタルのところが以前よりも冷静でいる自分がいる感覚があります。すごく、今の自分は好きですね」と前を向いた。

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小島瑠璃子の夫が急死…一体何が? 夫の事業は順調とは言い難く、高級マンションから何度も転居|日刊ゲンダイDIGITAL

公開日:2025/02/05 06:00 更新日:2025/02/05 06:00 小島瑠璃子(C)日刊ゲンダイ 拡大する 一体何があったのか……。タレントの小島瑠璃子(31)と実業家の夫が4日午後3時ごろ、それぞれ都内の病院に緊急搬送され、夫の死亡が確認された。小島も体調不良で搬送されたが、命に別状はないという。 「都内の自宅マンションで意識不明で倒れている夫を小島さんが発見。気を失いかけながらも、110番通報しました。自宅からは夫が書いたとみられる遺書も見つかり、自殺と見られています」(捜査事情通) 小島の夫は小島より2歳年下で、サウナや温浴事業などを手掛ける企業経営者。夫婦は2023年3月に結婚した。小島が所属していたホリプロを退社して1カ月ということもあり「電撃婚」との見出しもあった。夫妻は同年8月にSNSで第一子妊娠を公表。今年に入って無事に出産していたと伝えられた。小島を知る芸能関係者が言う。 「妊娠発表の直後に出演したテレビでは、結婚について『何かを決めるとか決断していくときに、この人とだったら安心して話し合って2人で決めていけると思った』と幸せそうに語っていました。知人の紹介で出会ってわずか数カ月だったそうですが、『すぐポンって自然に結婚しようって思えた』とのろけていました。芸能界から離れ、何か新しいことに挑戦しようと思っているとも話していたのが印象的でした」 Page 2 公開日:2025/02/05 06:00 更新日:2025/02/05 06:00 小島瑠璃子(C)日刊ゲンダイ 拡大する そんな幸せな結婚からまだ約2年という新婚で、幼子にも恵まれた生活の中で、一体何があったのか。 「旦那さんの会社の経営が順調とは言い難く、資金繰りに苦労していたという話もあります。それと今回の件との関連性はないと思いますが、夫妻は結婚当初に暮らしていたタワーマンションから、この3年間に転居を繰り返しています」(同) 小島は「こじるり」の相性で親しまれ、奔放なキャラクターで多くのファンを魅了してきた。多くのファンが心配している。 ◇ ◇ ◇ 厚労省は、悩みを抱えている人には、1人で悩みなどを抱えずに「こころの健康相談統一ダイヤル」や「いのちの電話」などの相談窓口を利用するよう、呼びかけている。 ■厚生労働省のホームページで紹介している主な悩み相談窓口 ▽いのちの電話 ℡0570・783・556(午前10時~午後10時)、℡0120・783・556(午後4~9時、毎月10日は午前8時~翌日午前8時) ▽こころの健康相談統一ダイヤル ℡0570・064・556(対応の曜日・時間は都道府県により異なる)

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小島瑠璃子に心配の声殺到 昨年12月の元AKB板野友美の披露宴には笑顔で出席 | 東スポWEB

タレント・小島瑠璃子(31)の会社経営の夫(28)が4日、急死して衝撃が走っている。小島はここ1年ほど、目立った芸能活動をしていなかった。 「こじるり無双」と称されるほどバラエティー番組をはじめ、多方面で活躍。その後、日本での活動をセーブし、中国での活動を視野に入れ、2023年から中国の大学に留学することを公表した。所属していた大手芸能事務所ホリプロを23年2月に退所し、春に結婚した。 同年5月には都内で行われた映画「再会長江」の舞台あいさつに登場。同作ではナレーションを担当した。 ステージ上で「先日、結婚しました。夫も応援してくれている。結婚生活をしながら、中国でのトライも。自分のキャリアにまっしぐらに頑張りつつ、結婚もやってみようかなと思いました」などと報告していた。 同年8月にインスタグラムで妊娠を発表したのを最後に更新は止まった。 翌9月放送のTBS系「サタデープラス」に生出演。このころには中国での生活を開始していたようで「平和に暮らしています」と明かした。ただ、目立った芸能活動はしていなかった。 芸能関係者は「こじるりはプライベートでの騒ぎもあってか、事務所の退所はいい形ではなかったと言われました。本人も個人での活動は難しいと感じたでしょう」と指摘。「その一方でめでたく妊娠しました。出産を控え、体調を最優先に考えたので芸能活動の本格的な再開は当然、保留になりました。産後は子育てしつつ、夫をサポートしていたようです」と話した。 女優の野崎萌香が昨年12月、インスタグラムに元AKB48の板野友美、プロ野球・ヤクルトの高橋奎二投手の結婚披露宴の様子を投稿した際、添付した写真に出席者の一人としてにこやかな小島が写っていた。 茶髪時代の板野友美(2014年) 夫の急死を受けて、SNSでは心配の声が寄せられている。

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杉村太蔵氏、スタジオが静まり返る解説委員の“圧”に注意「そこまで高圧的にならない方が…」 – 芸能 : 日刊スポーツ

杉村太蔵氏(2021年12月撮影) 元衆院議員で実業家の杉村太蔵氏(45)が1日放送の読売テレビ「今田耕司のネタバレMTG」(土曜午前11時55分=関西ローカル)に出演。同局特別解説委員の高岡達之氏(60)を“注意”する一幕があった。 この日の番組では、10時間超となったフジテレビの2度目の会見について取り上げ、問題点などについて、出演者が意見を述べた。 その中で、読売テレビの林マオアナウンサー(40)が、「私も1個聞きたいんですけど…」と切り出し、フジテレビ相談役でフジサンケイグループ代表の日枝久氏について「(フジテレビの)企業風土を作ってきたのは、もしかしたら日枝さんなんじゃないかなっていうことをおっしゃる方も…」と問いかけた。 これに、高岡氏が「企業風土が今回のことを生んだかどうかは分からないんじゃないんですか。企業風土を作ってきたのが日枝さんだとして、その企業風土って、じゃあ何なんですか。風土を、あの10時間の記者会見で立証できます?」と問い返した。 林アナが「立証まではできないかもしれないですが…」と答えると、高岡氏が「そうでしょう? 風土と解釈っていうのは人によって違うと思っています」と続けた。 高岡氏の強めのトーンにスタジオが静まり返る中、隣に座っていた杉村氏が「どうでもいいですけど、そこまで高圧的にならない方が。もうちょっとトーンを下げた方が…」と割って入り、高岡氏を制止。スタジオに笑いが起こると、MCの今田耕司(58)も「怖かったねえ。太蔵くん、ありがとう!」と感謝した。 高岡氏の“圧”に「俺、(怖くて)泣きそうになっちゃったよ」と言う杉村氏に、今田も「林さんも、次のネタに行きますっていう指示を無視してでも聞いたんですよ!」と林アナをフォロー。杉村氏も「あなたこそメディアの宝ですよ、今の発言は! 非常に勇気がある。素晴らしかった」と林アナを慰めた。 スタジオ中から「謝っておこう」と言われた高岡氏は、苦笑しながら「林さん、あとで」と言うも、杉村氏が「一番ダメなやつ!」と再びツッコんでいた。

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【吉田義男さんを悼む】パリでの初対面から36年 今では座右の銘「徹」の意味が分かる(スポニチアネックス)|dメニューニュース

フランスチームのジル・トマ(中央)と談笑する吉田義男さん(1989年9月10日、パリ近郊サルセル公園) 吉田義男さんと初めて会ったのはパリだった――と書けば、しゃれているが、内情はそんな格好のいいものではない。 1989年夏、編集局長から「吉田の所へ行け」と命じられた。バブル期、日本航空(JAL)のマスコミ向けキャンペーンでヨーロッパ線の無料航空券を渡された。入社5年目、阪神担当2年目の26歳だった。 吉田さんとスポニチは自他ともに認める犬猿の仲だった。現役晩年から2度の監督在任中、紙面で批判的な記事を掲載していた。「吉田放出」のトレード話は幾度も1面を飾った。たばこに「吉」と書くほどのケチと書いた。「責任を感じている」と聞けば「引責辞任か」と迫った。 だから、吉田さんのもとへ、それも海外へ1人で行くと聞いた先輩は「かわいそうに」と気遣ってくれた。吉田さんはこの89年からフランスへ野球指導に出向いていた。 事前に滞在先に国際電話したが「あ、そう」と素っ気ない。ファクスで行程を伝え、手土産に高級マツタケ昆布を買った。9月初め、アンカレジ経由でパリに着いた。 押しかけてきた憎きスポニチの若造だが、さすがに追い返すわけにもいかない。吉田さんはカフェで「ドゥ・カフェ」とコーヒーを2杯頼んでくれた。英字紙ヘラルド・トリビューンを読みながら「あんたのところに随分嫌な思いをさせられました。わかってまっか」とずばり言われた。 それでも車に同乗させてくれた。競馬場内や公園内に急造したグラウンドで当時56歳の吉田さんは文字通り汗を流していた。パリジャンの選手たちは「ムッシュ」の言う「レンシュウ」の大切さを知り「ガンバロウ」は合言葉になっていた。 あの特派は「関係修復の糸口に」との意図だったと後に知った。氷は溶けだし、雪どけが始まっていた。 5年がたった94年夏、再びJALの航空券を手に局長が「アメリカ、好きな所に行っていいぞ」。大リーグ・オールスターなどに加え、今度は望んでフランス代表が合宿中のジョージア州コックランまで足を延ばした。もう笑いながら話ができた。試合中、場内放送で「日本から野球記者が来ている」と紹介され、ベンチで吉田さんも笑っていた。 スポニチとの不仲の一因には村山実さんとの対立構図があった。マスコミも巻き込んでの派閥争いである。だが吉田さんは「村山とけんかしたことなんて一度もありません」と話していた。キャンプ地・安芸や吉田邸での「相合い傘」をことさらに取り上げる論調を笑い飛ばしていた。 96年秋、監督問題が紛糾し「吉田氏に要請へ」と他紙に先んじて書けた。特ダネはもちろん、吉田さんの復帰がうれしかった。自身も驚く、球界でも異例の3度目就任だった。 篤子夫人は「フランス生活で主人におおらかな広い心が備わりました」と話していた。当時63歳。丸くなり、マスコミとの関係にも気を配った。もう「反・吉田」は皆無だった。 涙腺も緩くなっていた。開幕2試合目(97年4月6日・広島市民)で初勝利をあげると感激で声をあげて泣いた。グラウンドでの涙は85年のリーグ優勝後、甲子園でペナントを手に場内一周して以来2度目だった。 98年で監督退任となった。望んだ通りの円満退団で、辞意表明して迎えた最終戦の朝、夫人は赤飯を炊いた。あれほどの負けず嫌いが語った「負けたのは悔しいが、人生に負けたわけじゃありません」が胸に染み入った。 ユニホームを脱いだ吉田さんとは会うたびによく話をした。大リーグや阪神、高校野球など、昔と今を語り合った。思えば、ともに無類の野球好きという共通項があった。吉田さんは「あんたが日本の野球報道を引っ張っていかなあきまへんで」と励ましてくれた。 座右の銘は「徹」。現役時代に修行した京都・大徳寺の盛永宗興老師から授かった。「ひたむきに歩む。集中して徹底的にやり通す。突き詰めて考える。苦しくても逃げずに立ち向かう……と理解しています」 あの初対面から36年になる。今では吉田さんの「徹」の意味がわかる。懸命に生き抜いた末での大往生だった。(編集委員・内田 雅也)

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小島瑠璃子、自宅から救急搬送も軽症 2歳下実業家の夫は搬送先で死亡確認 23年に結婚、子ども1人 – スポーツ報知

「こじるり」の愛称で親しまれるタレントの小島瑠璃子(31)が4日、夫と都内の自宅から救急搬送された。搬送先の病院で夫の死亡が確認され、小島自身は軽症で命に別条はない。警視庁は詳しい状況を調べている。 小島は高校1年生だった2009年に「第34回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で応募3万3910人からグランプリに輝き、芸能界デビュー。明るいキャラクターとトークスキルを生かし、バラエティー番組を中心にスポーツ番組のキャスターとしても活躍した。選挙特番では鋭いリポートで「こじるり無双」と注目された。 23年2月末で、大手芸能事務所「ホリプロ」を退社し、同年3月に温浴施設のプロデュースなどを手掛けていた2歳下の若手実業家と電撃結婚した。当初、中国の大学に語学留学することを発表していたが、留学を延期して第1子を出産。都内で育児に励む様子も見られた。 小島は退社後、露出は減少。結婚後初の公の場となった23年5月の映画「劇場版 再会長江」(竹内亮監督)のトークショーでは「夫も(芸能活動を)応援してくれている。お互いに結婚しながら、中国を行き来し、キャリアを全うしつつ、結婚生活していきます」と幸せそうに報告していた。 最近は目立った仕事をしておらず、昨年12月に友人の結婚式に出席したことがインスタグラムで投稿されていた。 ◆小島 瑠璃子(こじま・るりこ)1993年12月23日生まれ。31歳。千葉県出身。高校1年生だった2009年に「第34回ホリプロタレントスカウトキャラバン」でグランプリを受賞し、芸能界デビュー。バラエティー番組に数多く出演していたが、22年に23年から中国留学することを発表し、日本での芸能活動をセーブ。身長157センチ。血液型O。

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小島瑠璃子 急死の夫の会社「資本金8分の1」大幅減資の異変 | 東スポWEB

タレントの小島瑠璃子(31)が4日午後、東京・港区の自宅マンションから110番通報した。会社経営の夫(28)が倒れており、搬送された病院で死亡が確認された。小島も気分が悪くなって搬送されたが、軽症で無事。夫は昨年秋、会社の資本金を8分の1にする大幅減資に踏み切るなど経営に奮闘していたのだが…。 捜査関係者らによると、小島が4日午後、子供(1)とともに外出先から自宅マンションに戻ると、意識不明で倒れている夫を発見したという。午後2時50分ごろに110番通報。警視庁署員が駆け付け、小島と夫はそれぞれ同3時ごろに病院に搬送され、小島は症状が軽く無事だったものの、夫は死亡が確認された。 小島も警視庁から事情を聴かれている。午後10時ごろ、警察署には本人の近しい関係者とみられる人物が乗った車が出入りした。小島は個人で活動しており、大手芸能事務所ホリプロに所属していたころのような強力なバックアップは得られない中、周囲から献身的にサポートされていた。 警視庁署員は報道陣に対応はせず、車の搬入口が開閉する際に「離れてください」と呼びかけるのみだった。 小島は2009年、ホリプロタレントスカウトキャラバンでグランプリを受賞し、芸能界入りした。バラエティー番組をはじめ、多方面で活躍して「こじるり無双」と称された。日本での活動をセーブし、中国での活動を見据えて23年から中国の大学に留学することを公表。同年2月にホリプロを退所した。本人を知る関係者の話。 「こじるりは共通の知人を介して知り合った男性と23年春に結婚。当時、『(男性が)婿養子になって小島姓になったんだ』と、うれしそうとも恥ずかしそうとも言える表情で話していました。夫は温浴施設のプロデュースやその関連アプリの開発を手がけるベンチャー企業の経営者です」 夢だった中国での活動は一旦、保留にした。 「結婚後、ほどなくして妊娠が分かり、周囲に報告。24年年明けごろに出産したと聞きました」(前出関係者) 家族3人で仲良く暮らしていたはずだった。 「小島さんは夫の事業を、夫は小島さんの中国進出をそれぞれ応援していました。夫は昨年秋、会社で資本金を8分の1ほどに減少させる大幅減資に踏み切るなど経営に奮闘していましたが…」 原資は企業の財務状況を改善するためや企業の規模を縮小して資本に見合うようにするために行われる。一部では会社経営が芳しくなかったとも報じられている。 小島は夫が急死したことでホリプロをはじめ、芸能界から心配の声が上がっている。

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大寒波居座る…日本海側中心に猛ふぶき・大雪続く見込み(日テレNEWS NNN) – Yahoo!ニュース

数年に一度の大寒波が居座るため週末にかけて、日本海側を中心に猛ふぶきや大雪が続く見込みで、大規模な車の立ち往生などに警戒が必要です。 今後の雪の予想です。5日も、日本海側を中心に、西日本も含めて雪が続くでしょう。とくに、発達した雪雲が次々と流れ込む北陸では、短い時間で急激に積雪が増加するおそれがあります。 5日夕方までに予想される雪の量は、北陸で100センチ、東北や東海で80センチなどとなっていて、九州や四国など普段雪の少ない地域でも雪の量が増えそうです。 さらに、6日夕方にかけて北陸で100センチと予想されるなど、週末にかけて大雪が続く見込みです。大規模な車の立ち往生や、なだれなどに警戒が必要です。 日テレNEWS NNN ******* **************************************************************************** ******* ****************************************************************************

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阪神初の日本一導いた〝ヨッさん〟吉田義男さん逝く 華麗な守備で魅了「牛若丸」、不動のショートで歴代最多9度ベストナイン

1985年11月2日、球団初の日本一を達成し、胴上げされる吉田さん プロ野球阪神で名遊撃手として活躍し、監督としては1985年に球団初の日本一に導いた吉田義男さんが3日午前5時16分、脳梗塞のため死去した。91歳。京都府出身。阪神が4日に発表した。現役時代は華麗な守備で「牛若丸」と称され、ベストナインには遊撃手歴代最多の9度選出。引退後は3期にわたり阪神の監督を務め、「ヨッさん」の愛称で親しまれたレジェンドが旅立った。 ヨッさん、逝く-。球団はこの日、吉田さんが3日午前5時16分に脳梗塞のため、死去したと発表。永久欠番「23」が2月3日に91年の生涯の幕を閉じた。 吉田さんは現役時代、華麗な遊撃の守備で「牛若丸」と称された 吉田さんは1950年、京都府立山城高2年時に夏の甲子園に遊撃手として出場(1回戦敗退)。3年夏は府大会で敗れた。立命大では1年生からレギュラーとして活躍したが、53年に中退して阪神に入団。「牛若丸」と称された華麗な守備で、阪神でも1年目から遊撃のレギュラーをつかむと、規定打席に到達して119安打(打率・267)を放つなど打撃でも存在感を見せた。 54、56年に盗塁王、55年には初のベストナインに選出されるなど不動の遊撃手として、62、64年のリーグ優勝にも大きく貢献。遊撃手でのベストナイン9度選出は歴代最多だ。69年にコーチを兼任後、同年をもって現役を引退(コーチも退任)。阪神一筋でプレーし、背番号「23」は87年に永久欠番となった。

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