“1ページだけの日記帳” 弟がつづった日常を伝えて | NHK | WEB特集

神戸市内の小学校で教師を務める木畑優紀絵さんは、阪神・淡路大震災で、当時小学4年生だった弟を亡くしました。被災地の教師として学校で震災の話を伝えながらも、弟の話をするのはつらいという思いの間で揺れてきました。震災から30年。木畑さんは遺品から見つかった、1ページだけの日記帳を手に授業を行いました。

(神戸放送局 記者 井上幸子)

ほっと関西 ▽1ページだけの日記張 震災の思い伝える授業 配信期限 :1/23(木) 午後6:59 まで↓↓

去年11月。神戸市で開かれた小さな誕生会。誕生会の主人公は原雄輝さん。阪神・淡路大震災で亡くなりました。当時10歳でした。この日お祝いをしていたのは雄輝さんの3つ上の姉、木畑優紀絵さんです。神戸市の小学校で教師をしています。

母の里美さんや自分の子どもたちと一緒に、毎年、雄輝さんの誕生日を祝っています。

30年前、雄輝さんの10歳の誕生日の写真です。バースデーケーキを注文し忘れていたため、祖父が当日慌てて買いに行ってくれました。おわびにと、買ってきてくれた2つのケーキを前に笑顔を見せる雄輝さん。

震災の2か月前、これが最後の誕生日となりました。

木畑優紀絵さん

「本来お祝いすべき弟は、もういないんですけど、誕生会をすることで、私自身が救われている部分があります。弟がいたということを知っているのは、もう私たち家族と限られた人だけなので。お祝いすることは雄輝がいた証だと思っています」

震災で、当時住んでいた東灘区の自宅は全壊。夫婦と3人の子どもたち全員が一時家の下敷きになりました。

地震から2時間近くたって、ようやく外に出ることができましたが、雄輝さんが亡くなりました。

母親の原里美さん

「家は完全に潰れていて、私たちも全員亡くなっていてもおかしくなかった。なぜ雄輝なのか。私が代わってやりたかったと、もうずっと思っています」

木畑優紀絵さん

「弟が亡くなったという事実を受け止めきれなかった。当たり前の日常で弟がいないというのではなく、世界が変わってしまった中で弟もいなくなった」

木畑さんの実家には、段ボール3箱に収められた雄輝さんの写真や遺品があります。震災の後、父親が壊れた家の中に入って集めたものです。木畑さんたちはめったにこの段ボール箱を開けないそうですが、取材にお邪魔した時に、久しぶりに開けてくれました。雄輝さんが好きだったアニメキャラクターの人形やゲーム。アルバムや文集もありますが、見てしまうと一気に時間が戻り、感情が揺さぶられてしまうため、これまできちんと見てこなかったといいます。この日もアルバムを開くと、込み上げてくる涙を抑えることができませんでした。

そうして遺品をみているうちに、木畑さんは雄輝さんの日記帳に、1ページだけ日記が書かれていることに初めて気付きました。

日記は震災の3日前に書かれたものです。

友達と遊んだ、楽しかった1日が綴られていました。

木畑優紀絵さん

「遺品を開いただけであのときに戻ってしまうので、つらくてじっくり読んでいませんでした。日記帳は学校に行くランドセルから見つかったのだと思います。結局この日記帳を学校には持っていけなかったし、日記の続きも書けなかった」

木畑さんが勤める神戸市の小学校では、毎年1月17日の近くに、震災の授業を行っています。木畑さんも担任する子どもたちに震災の話を伝えてきました。

しかし弟についてはこれまで深く話すことをためらってきました。

木畑優紀絵さん

「教師として自分が最後まで話しきれるかどうか不安があります。泣いてしまわず、ちゃんと自分のことばで伝えたいと思うと、ある程度の平常心を持って話ができるものを選んでしまう」

震災30年を前にした授業では、遺品とともに日記を子どもたちに見せることにしました。1ページだけの日記帳が伝える、地震で突然絶たれた弟の命。

30年ぶりに気付いた日記帳に背中を押された形です。

木畑優紀絵さん

「ちょうど1ページで終わっていて残りは真っ白です。日記の中には母や妹とのやりとりや友達と遊んだことが書かれていて、4年生の男の子の当たり前の日常がありました。あの日記が出てきたということは、子どもたちに伝える話のきっかけになるのかなと思います。自分のことばで伝えることで、何か1つでも子どもたちの中に残ってくれたら」

震災を伝える授業の日。担任しているのは雄輝さんと同じ4年生です。

子どもたちを前に木畑さんは震災で弟が亡くなったことを話しました。

「1月17日に先生の家も潰れてしまって、ちょうどあなたたちと同じ4年生だった弟は地震で命を落としました」

子どもたちの間から「え?」という声が上がりました。教室の雰囲気が少し緊張したのが伝わってきます。

木畑さんが取り出したのは雄輝さんの遺品です。

そこにはゲームに夢中の普通の小学生の姿がありました。

「弟はこのゲームがめっちゃほしくって、サンタさんに頼んだの。でもクリスマスの後に地震が起きたので、せっかくもらったけど、ゲームはあまりできないままやったかな」

「日記も出てきたの。1ページ目で終わってんねん。書いたのが1月14日の土曜日なんで、ちょうど地震が起きる3日前」

そして、木畑さんは雄輝さんの日記を読み上げました。

きょう、しみずくんとあそんで…

いもうとがお店やさんをやると言ったからドラゴンボールのカードやいもうとのセーラームーンのカードをお金にしてやっていてすごくおもしろかったからしみずくんがまたこんどやろ、といってかえっていって、その日はすごくおもしろかった

「命がなくなってしまったら、またこんどやろうっていうのはできないよね。突然大きな災害があって、命がなくなってしまったよ。だからこそ、いまあなたたちが元気に楽しく過ごせている毎日を大切に思ってほしくて、きょうはこういう話をしました」

「ノートにあった、また今度やろう、っていう約束のことが心に残ってる」

「自分たち同じように勉強して、みんなと仲よくしていたと思う。毎日を大切にしようと思いました」

授業の感想文です。

木畑さんのメッセージは子どもたちの心に届いていたようでした。

「先生の大切な友達、弟は『また遊ぼうね』といったけれども命を落としてしまったので『また遊ぼう』ができなくなってしまいました。今ある毎日はとても大切なことだとわかりました」

木畑さんは震災を体験した教師として、これからも自分の思いを子どもたちに伝えていこうとしています。

木畑優紀絵さん

「友達と過ごす時間、学校で過ごす時間が本当にかけがえのないものだということを知って、毎日を大切にしてほしい。いまはまだクラスの子どもたちに伝えるのが精いっぱいな部分はあるけれど、毎年話をしていきながら、40年50年たったときには、もっとたくさんの方に伝えられるようになっていけたら」

震災から30年。亡くなった大切な人について、家では話をするけれど外に向かっては積極的に語らない。街が復興し住民が入れ替わる中、震災への思いを聞く場が減っている現実があると感じます。だからこそ、共有してもらったその思いを大切につないでいきたいと思います。

(1月16日「おはよう日本」「ほっと関西」1月10日「リブラブひょうご」で放送)

神戸放送局 記者

井上幸子

医療や教育を担当

長年にわたり、阪神・淡路大震災を取材

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