イチロー氏が野球殿堂入り 高校時代のコーチが語る喜び、電撃訪問で母校に与えた好影響(週刊ベースボールONLINE)|dメニューニュース

週刊ベースボールONLINE1/17(金)11:46

イチロー氏が野球殿堂入り 高校時代のコーチが語る喜び、電撃訪問で母校に与えた好影響

高校3年間で打撃が進化

愛工大名電高・倉野監督は教え子であるイチローの野球殿堂を喜んだ[写真=BBM] 日米通算4367安打。NPB、MLBで数々の金字塔を打ち立てたイチロー氏が1月16日、競技者表彰(プレーヤー表彰)で野球殿堂入りした。高校3年間、コーチとして指導した愛工大名電高・倉野光生監督は喜びを語った。「野球殿堂入り。本当に素晴らしいことだと思います。おめでとうございます。オリックスではプロ野球史上初の200安打(210安打)を放った1994年から7年連続首位打者。とんでもない話です。プロ1年目、92年のジュニアオールスターでMVPを受賞したんですが、ある解説者が『首位打者をずっと取り続けるでしょう』と予言していたんです。あり得ないと思って聞いていましたが、現実になるとは……。あまりに、衝撃的でした。1シーズンを通して打って、守って、試合に出続けていた。あの細身の体で……。パワーが通用するか? 体力が持つか? そういった状況で高校からプロへ送り込んだんですが……」 高校入学時は170センチ55キロだった。「一言で表現すれば、華奢。お父さんからは『プロ野球選手にさせたい!!』という話を聞いていましたが、この体でいけるのか、半信半疑でした。ところが、投げさせれば指先の感覚、ボールの扱いがうまい。打撃ではミートのうまさ、バットコントロールが違いました。私たち指導者は、1年生でも練習できる環境づくりを整えることに注力しました」 今だから明かせるエピソードがある。「今は『進化』という言葉がよく使われますが、当時のイチローが最初だと思うんです。7年連続首位打者の話に戻りますが、相手も研究してくる中で、それを上回る成果を出した。振り子打法に始まり毎年、進化していました。それは、打撃だけではなく、走り方が年々、バージョンアップしていたんですね。走ることは、運動の基本動作。イチローはそこを大事にしていたように見受けられます」 高校3年間で打撃も「進化」していった。「1年生のときは逆方向。三遊間のど真ん中に打つんです。打ち損じれば、内野安打。芯に当たればレフト前。レフトオーバーはありませんでした。2年になると、投手の足下を抜くセンター前。セカンドベースの真上に、きれいに打つんです。でも、長打はない。3年生になると、ライトオーバーに当たりが出るようになりました。自分の打撃を、意図的に封印していたんです。3年間を見越して、設定していたと思います。最終的に広角に打てるようになった。こうして振り返ると、計画的に取り組んでいたんですね。そんな高校生、おらんですよ(苦笑)。田村(田村俊介、広島)、石見(石見颯真、ソフトバンク5位)にも、イチローの打撃を教えました。困ったときに逆方向を打てる技術を身につければ、率を残せる。好投手を相手にしては引っ張れませんので、安打を狙うにはピッチャーの足下。イチローから得たヒントはたくさんあります」 高校時代から別次元だったという「探求心」が支えであり、考える力も、成長を後押し。愛工大名電高で学んだ野球を原点に、NPB、MLBで実績を残していったのである。

「感性を大事にしろ」

愛工大名電高出身者の野球殿堂入りは2016年の工藤公康氏以来2人目。野球部合宿所の玄関にはレジェンド2人のユニフォームが飾られている。手前が工藤氏。奥がイチロー氏[写真=BBM] 昨年11月18日。イチローは母校グラウンドを電撃訪問し、現役高校生を指導した。愛工大名電高は「データ野球」の最先端を行っている。打球速度など数値化して、スイング軌道なども動作解析で研究。部員には専門のアナリストも在籍している。イチロー氏はあえて「自分で考えて動く」「感性」を訴えた。 主将・清水隆太主将(新3年)は言う。「データを収集して、どうすれば打てるか、良いボールが投げられるかを分析して取り組んでいます。でも、それだけに頼っていたらダメなんです。イチローさんからは『感性を大事にしろ』と。特に勉強になったのは走塁面です。数値、データだけでは見えない部分がたくさんある。つまり、打球判断。これまでは動きながら見ていましたが、止まって見ると、正確に判断できるんです。指導していただいたことを、今の練習でも意識しており、夏の甲子園出場という結果で恩返ししたい」 野球殿堂入りについては「名電の先輩として、すごいを、通り越している。あこがれの先輩。すごいなという一言だけです」と語った。 イチローの母校指導で倉野監督が何よりも驚いたのは、引き締まった肉体だったという。「一般的なプロ野球選手であれば40歳を過ぎて、体が動かなくなり、引退するわけですが、イチローは51歳。本人が現役をやりたいと言えば、十分、通用すると思います。走る、投げる、打つ。これからプロ入りする石見とは30歳以上の差がありましたが、スピードを含めてそん色ない。足の筋肉を見たら、ゴツゴツしていた。今も進化を続けているんですね。イチローにはいつも驚かされます」 決して偶然ではない。倉野監督は言った。「昨年10月22日に51歳になって、名電に指導しに来てくれました。51歳のタイミングで、背番号51を着けた殿堂入りする。巡り合わせなのか……。本人には確認していませんが、うまいこと、ついて回っているんですね。やってくれることは、いつもサプライズ。イチ流の教えを、名電でも作り上げていかないとイカン。私にとっても良いきっかけでした」 イチローの野球殿堂入りは、母校に大きな影響力をもたらせた。

文=岡本朋祐

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