【富山】阪神淡路大震災30年 続く交流 被災地をつなぐ絆|KNB NEWS NNN

6400人を超える犠牲者を出した阪神・淡路大震災からきょうで30年です。当時、被災地で支援活動をした富山市のボランティア団体は今も現地の人たちと交流を続けています。支援をきっかけに深めた絆を取材しました。今から30年前の1995年1月17日。兵庫県淡路島を震源とする最大震度7の地震が発生しました。死者6434人、損壊家屋はおよそ64万棟という甚大な被害が出た現地へ県内からも支援に向かった人たちがいました。【五十嵐光一さん】「本当あっという間の30年 30年前の災害のことを知っている人が、どんどん減ってしまっているというそういう心配もあります」富山市のボランティア団体「ヤングネットワークとやま」の 相談役・五十嵐光一さん(60)です。五十嵐さんは、震災発生から3日後に仲間5人で兵庫県に入り、避難所となっていた西宮市の安井小学校で救援物資の仕分けなどにあたりました。それまで主に障がい児の外出支援や交流促進などに取り組んでいた五十嵐さんらにとって、被災地での支援活動は初めてのことでした。【五十嵐さん】「何かしらできることがあるんじゃないかなという、その思いだけで入りましたけど。どこを拠点に活動しようかというところで、すぐ決まらなくて、もういろんな避難所をうろうろしながら、奥の方へと入っていった覚えがあります」

児童2人を含む89人の犠牲者が出た安井地区で五十嵐さんらは半年の間支援活動を続けました。

富山の雪で雪地蔵を作る活動

「富山の雪がお地蔵さんになりましたー立派になったでしょ」震災から20年の節目には犠牲者を弔うため富山から運んだ雪で89人分の雪地蔵を作りました。【五十嵐さん】「富山県の雪、あのとき40トン運び込んで、もう小学校のグラウンド中に、こう雪の塊ができるんですね、子どもたちがもう授業にならなくて、窓から顔がこうずらーっと並ぶんですよ」また、一度で終わる活動にしたくないと富山県の花であるチューリップの球根をこれまで30年間毎年安井小学校に贈っています。毎年春には、花壇に植えられた色とりどりの花々が子どもたちを応援するように咲き誇ります。【五十嵐さんインタ】「災害という悲しい出来事でつながった縁でありますけどもそれが富山と兵庫の大きな懸け橋になるんじゃないかなと」また、子どもたちに震災の記憶を語り継いでいくため富山の児童と安井地区の児童とが対戦する「震災伝承サッカー交流会」を開催するなどしてきました。【五十嵐さん】「当時からもう風化が始まっていましたので、震災を伝えることを大事にしようと」五十嵐さんたちは、阪神・淡路大震災のあとも各地で起きた震災の現場に入り支援にあたってきました。去年の能登半島地震では、石川県輪島市内で炊き出しやがれきの撤去にあたりました。現在も、高齢者の入浴介助などをするなど毎週のように支援活動を続けていますが、活動費の捻出には苦心しています。【五十嵐さん】「(活動費は)基本手だしですね、災害おきますと、もう一回集めますとか言って」

「能登での活動資金に」と支援金が届いた

こうした中、去年2月安井小学校の児童や保護者らから、能登半島地震の被災地での活動資金にしてほしいと五十嵐さんらのもとへ支援金が届きました。【五十嵐さん】「助かりましたね すごいうれしかったなと思って。やっぱり同じ気持ちでいてくれるんだなというのを強く感じました」支援をきっかけに始まった交流が、人のつながりをさらに深く大きくしています。

【五十嵐さん】「次の世代をつくっていく子どもたち、若者たち、そこでの交流をまた考えています。これからも富山と兵庫、またほかの災害地を結ぶような活動を続けれたらと思っています」

最終更新日:2025年1月17日 21:19

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *