わずか数年前まで、他県からも有力な選手が集まるスポーツの強豪校だった和歌山南陵高校。しかしその校舎はシミだらけの天井、パイプは剥き出しになり、カーテンは破れ、お風呂のタイルもボロボロの状態。さらにある時は天井から激しい水漏れが起きていた。一体、この学校に何が起きたのか?再現ドラマを交えて紹介した。
2022年4月、愛知から和歌山南陵高校に進学した酒井珀くん。その目的は、バスケットボールだった。
実はこの学校、2016年に経営不振だった前の学校を再建する形で開校。生徒を呼び込むためにスポーツに力を入れ、その中でも特にバスケットボール部は創部2年目で全国大会出場など、和歌山では強豪校となっていた。他県から優秀な選手が数多く入学。2022年当時、バスケ部だけでも46人の部員を抱える大所帯だった。
そんな強豪校に入学した酒井くんは幼い頃からバスケをはじめ、中学時代に愛知県のクラブチームで活躍。全国のコートで活躍したいという夢を抱き入学を決めた。
バスケ部の新入生はこの年14人もいた。その中には海外からの留学生、アリュウ・イドリス・アブバカくん、通称・イディもいた。この年の全校生徒は1学年2クラスずつの167人。男女共学で文武両道を目指していた。
多くの部活生は校舎の隣にある寮に入って共同生活を送り、その絆は日に日に強まっていた。しかし、異変が起きたのは入学式から1か月が経った5月11日のこと。
朝のホームルーム、先生が来ない。この時、全学年の全クラスで同じ状態になっていた。生徒たちは自習となった。
実はこの時、職員室では副校長をはじめとする数名の職員が授業のストライキを提案していた。そのわけは経営陣のずさんな学校運営。前身の学校が経営難で閉校しそれを引き継ぐ形でスタートした和歌山南陵高校だったが、その経営者は教育とは関係ない事業を営んでいた男性で、この男性が理事長と校長を兼任していた。
県内外から優秀な生徒を集めどの部活も県内上位の成績を残していたが、少子化を背景に大幅な定員割れが続き、経営が難しくなっていた。
さらに、教職員の住民税と所得税を給料から天引きしていたが国や市町村へ納付していなかったことに加え、修学旅行を海外から国内に変更したもののその差額も保護者に返金していなかった。やがて、ガス料金を滞納したため、寮の食堂でガスの供給が止められる事態に。そして教職員の給料までもが振り込まれなくなった。
学校運営において不透明な金の流れがあるのではと抗議した職員は、解雇されてしまった。このような事態に職員たちからストライキという手段が提案されたのだ。この出来事はすぐに保護者にも伝わり、マスコミが学校に殺到。
学校の経営陣が不透明な金の流れに関して必ず説明すると約束したことで、翌日に授業は再開された。保護者には担任教師から謝罪の電話が入れられた。
だが、その後も学校では信じられない事が次々に起こり始める。
ストライキから1か月後の6月、朝食が1人につき菓子パン1個に減らされた。食堂の運営は外部に発注していたが、度重なる料金支払いの遅延に加え、物価高に合わせた値上げ要請に応じなかったためだ。食べ盛りのスポーツ選手たちの食事が削られ、昼食や夕食も質素なものとなった。
この事態に保護者会が炊飯器と米を送り、なんとかおにぎりを作ってしのいだ。しかし次に彼らを襲ったのは、30年以上経った校舎の水道管の老朽化による水漏れ。さらにトイレの上に位置する貯水タンクからは、老朽化によりメーターが誤作動し大量の水が溢れ出し、なんとトイレの天井が抜け、すさまじい勢いで水が流れ落ちてきた。このままでは部屋にまで水が到達してしまう勢いだったため、教員と生徒たちは、慌ててモップで水をかき出すしかなかった。その後も教職員たちは業者を入れずに自分たちでできる範囲で懸命に修繕を行った。
校舎や寮の設備はボロボロだったが、バスケ部の生徒達は全国大会出場という同じ夢に向かって、食事が減らされても、水漏れがあっても、ひたすら前向きに頑張っていた。
だが、さらなる試練が。酒井くんが入学して3ヶ月、バスケ部員たちに変化が現れ始めた。生徒たちの中にも不安が広がり、3年生、2年生はなんとか踏ん張っていたものの、14人いた1年生が1人、また1人と転校していったのだ。
夏休みになり、酒井くんは久しぶりに実家に帰った。母は息子が中学時代に在籍していたクラブチームのコーチを訪ね、転校先について相談した際に、受け入れられる学校があるかコーチも探すと言ってくれたことを伝えた。しかし酒井くんは、「もうちょっと南陵でがんばってみる」と答えた。
一週間の休みが終わり学校に戻ると、同級生が異様に少なくなっていた。休みの間に親と話し合い、多くの生徒が新たな学校を見つけ転校し、14人いた1年生は、一気に7人になっていた。
さらに追い打ちをかけるように、県から新規生徒の募集停止を命じられる。5月の教職員のストライキ後、理事長と校長を兼任していた男性は退任したものの、その後も県からの再三の行政指導に応じなかったため、教育の質が保証できないと判断された結果だった。
新入部員が入ってこない中、2年生に上がる時にさらに1人が転校。バスケ部の2年生は6人となり、3年生に上がる時も新入生募集の許可は下りず、かつての強豪バスケ部は、わずか6人になってしまった。
それでも、全国大会出場の夢は諦めなかった。
学校全体でも生徒数はわずか18人に。バスケ部6人、野球部10人、そして吹奏楽部が男女1人ずつの2人という状況だった。
そんな中でも、野球部は強豪が揃う和歌山県大会で2回戦を突破。3回戦で強豪・智弁和歌山高校に敗れたが、6人のバスケ部と2人の吹奏楽部がスタンドから懸命に声援を送った。
こんな状況でも生徒たちは明るさを失わず、全校生徒が18人になったことで絆はより強まり、保護者同士も固い結束を見せた。自分たちができることは何でもし、試合となれば皆遠方からも応援に駆け付けた。
そんな中一人の男性が動き出していた。新年度を迎え、新たな理事長として就任した甲斐三樹彦さん。実は彼は以前、この学校の営業部長だった人物だ。
当時、不明瞭な金の流れについて理事長に直談判したことで解雇された甲斐さんは、その後、大分県でコンサルタント会社を経営しながらスポンサーを募っていた。そして、ようやく前経営陣から数億円で学校の事業を引き継いだのだ。
しかし、学校の帳簿を見ると負債はおよそ5億円にも上り、人件費、水道費、光熱費などの支払いで毎月1500万円の赤字が続いている状態だった。それでも甲斐さんは本業のコンサルタント業のツテを使い、応援してもらう企業を募り全国を飛び回った。
足りない時は自分の貯金を持ち出すことも。自らも寮の一室に泊まり込み、雑用も率先してこなした。
生徒たちの顔に精気が戻り始めた。バスケ部の保護者達はクラウドファンディングを始め、1か月間で763万4000円もの支援を集めることができ、全国から励ましの声が寄せられた。
残すは自分たちがコートで結果を出すだけ。6人しかいない状況での試合は大変だったが、前を向いて練習に励んだ。みんなで全国へ!その夢は変わっていなかった。
そして見事、和歌山県予選で優勝。みんなで全国へ!の夢が実現した。全国の強豪53校が頂点を目指すインターハイ全国大会へ。南陵高校の1回戦の相手は、宮崎の延岡学園高校。全国大会を制したこともある強豪校だった。相手ベンチには交代要員が7人。一方、南陵高校のベンチにいるのはたった1人。
前半はなんとか同点でしのいだものの、後半に入ると留学生のイディくんにアクシデントが発生。相手のヒジが顔を直撃し目尻を切ってしまう。1人欠ければもう交代要員はいない。応急処置だけですませ、イディくんは再びコートへ。その後も6人で必死に攻め、接戦を制して見事勝利。残念ながら2回戦で敗退したものの、6人だけの戦いは多くの人の心に刻まれた。
残すは高校生活最後の大会・ウインターカップ。しかしウインターカップ県予選開幕を目前に控えた10月、イディくんが母国のナイジェリアに帰国するという。実は大学への進学準備のため、「すぐに帰国するように」と両親から連絡が入ったのだった。
この事態にみんなで深夜まで話し合ったが、イディくんは最終的にウインターカップ県予選には出場するが、その後すぐに帰国することに。
迎えた和歌山県予選大会。南陵高校は順調に勝ち進み決勝戦へ。見事、58点差をつけ和歌山県予選を突破。その決勝戦の数日後、全国大会に一緒に出るため両親を説得すると言い、一時帰国したイディくん。だが両親を説得できず、日本に戻ることはできなかった。
2024年12月23日、ウインターカップ1回戦。相手は部員50人を擁する県立長崎工業高校。一方の南陵高校は、わずか5人。それでも臆することなく全力でプレーを展開。南陵高校のベンチには交代要員が1人もいない。前半が終わった時点で33対37。さらに試合終了まで残り7分、このシュートで2点差まで詰め寄ったその直後、紺野くんが5つ目のファウルで退場に。そこから4人だけの戦いとなった。
懸命に走り続けるものの、皆ここまでフル出場で体力は限界を迎えていた。64-80で敗れ、彼らにとって高校最後の試合が終わった。
その後、生徒募集停止の措置命令は解除され、新入生が入ってくることが決まった。運営に必要な資金が確保されたことなどが理由だという。
彼らを支えてきた甲斐さんは「感謝しかないですよ。こんな状況で残ってくれたこと、この状況で頑張ってくれたこと、そして結果も出してくれた。卒業しても彼らは南陵の再建の仲間として一生付き合っていけたらなと思っています」と語る。
バスケ部員たちもこの3年間を振り返った。「昨日まで一緒にバスケをプレーしていた子がもうその日になったらいない事があったので、その時には本当にすごく悲しかったです。一緒に泣いたこともありましたし、本当につらかったです」と酒井くんは当時を振り返る。さらに「チームメイト以上の関係、生きていく上で忘れることはない仲間」と、固い絆で結ばれた仲間たちへの思いを語った。
ボロボロの校舎から始まった苦難の日々は、かけがえのない仲間との絆と、決して諦めない心を育んだ。