堺正章氏(78)には2人の娘がいる。長女は元モデルで現在はアパレルのデザインを手掛ける菊乃さん、次女は女優の小春さんだ。小春さんは「堺小春」の名前で活動するが、実は「堺」の姓は先代・堺駿二氏から継ぐ芸名だ。小春さんがこの名前を引き継ぐと決めた時、堺正章氏は自分でも想像しなかった感情で満たされたのだという。 【写真を見る】堺正章氏の「長女」は元モデルでデザイナー、「次女」は舞台女優 (前後編の後編) *** ※この記事は『最高の二番手 僕がずっと大切にしてきたこと』(堺正章著、飛鳥新社)の内容をもとに、一部を抜粋/編集してお伝えしています。
近年いちばん嬉しかったこと、それは、次女が女優として「堺」の姓を継ぎ、「堺小春」になってくれたことだ。実は、僕の本名は「栗原正章」であり、「堺」と いう苗字は、父・堺駿二が、師匠であった早川雪洲からいただいた大事な芸名である。 早川雪洲は、サイレント期のハリウッドで俳優として活躍し、日本人で初めてアカデミー賞にノミネートされた、世界が認めた日本初の国際俳優だ。余談ではあるけれど、雪洲が大柄なアメリカ人俳優と写真撮影で並ぶとき、箱馬(舞台のかさ上げ用の木箱)に乗って背を高く見せるようにしていたことから、今でも業界用語で、撮影時に台に乗って背を高く見せることを「せっしゅう」と呼んでいる。 その早川雪洲がハリウッドから日本に戻ってきたときに立ち上げた劇団に父が入り、デビューするとき芸名を頂戴したというわけだ。雪洲は弟子を取らないことで有名な人だった。なのに、なぜ弟子になるチャンスをいただけたのか。 父はわずか11歳の頃、役者として「伊村座」という劇団に入っている。僕の祖母、つまり父の母親が芝居好きで、よく一緒に芝居見物をしていたことが縁だったようだ。伊村座を率いていた伊村義雄という人は、俳優番付の留めに名前が載るような実力者で、変わり者と言われていた。劇団で最年少の父は、よく叱られ、棒で殴られたようなこともあったそうだが、芸のことで苦しいと思ったことはなかったという。 そんな父にとっての大きな転機となったのは、18歳の頃のことだ。アメリカから来日した早川雪洲が日本各地で舞台公演を行っている姿にすっかり魅了され、それまでいた伊村座をこっそり抜け出した。父の兄は13歳で真打ちになった浪曲師、港家小柳丸だったのだが、その友人に早川雪洲の元同級生がいることを知り、その人に直談判して、弟子にしてもらえるよう本人に頼んでほしいと無理に掛け合ったのだ。
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