時事通信 運動部2025年02月05日07時08分配信
吉田さんには、マージャンパイを「足でかき交ぜる」といううわさがあった。負けが込むと悔しそうに、足を使うのだと。たちの悪い冗談だと思っていたが、本当だった。
1985年、阪神21年ぶり優勝の祝賀会で、上機嫌の吉田さんが同じテーブルの記者たちに話し掛けた。「私は若い頃、皆さんとようマージャンしましたなあ。負けてくると足でパイをかき回したもんです。あの時はすんまへんでしたな」
無礼には違いないが、勝負にこだわる男のすさまじい負けじ魂も見て取れる。うわさには後段があった。「足で交ぜるのを見た者は闘志がなえた。最後に勝つのはいつも吉田さんだった」
身長は当時でも小柄な部類に入る160センチ台。人一倍の負けん気の強さがなければ、プロの世界で大男たちと戦えなかっただろう。妻の篤子さんによると「ナイターから帰っても、食事はそっちのけで素振りをしていた」。実働17年で1864安打。400勝投手の金田正一(国鉄、巨人)に「あいつとはやりたくなかった」と言わせた。
打撃にもまして万人をうならせたのは、「史上最高の遊撃手」と言われた華麗な守備。難しいゴロをたやすくさばき、矢のような速さで一塁へ。どんな体勢で捕っても、送球体勢に入った。身のこなしは「牛若丸」に例えられ、三宅秀史と組む三遊間は鉄壁といわれた。「若い時は四六時中ボールを手にしていた。いかに早くボールを離すか、そればかり考えていた」と吉田さん。努力のたまものだった。
阪神の監督を3回務め、日本一にもなった。「選手一丸」「挑戦」という言葉を、愚直なまでに繰り返してチームを束ねた。気になる選手には手紙を書いた。「親を大事に」「感謝の心を忘れるな」。心がこもっていた。
自宅のげた箱には新品同様の靴が数十足もあった。いわゆる「履き道楽」だったようだが、篤子さんによると、そこに吉田さんなりの哲学もあった。「男を選ぶときは靴を見ろと、よく娘に言っていました。着飾っていても靴が汚い男はあかん。自分のこともきちんとできんやつは人の上に立てへん」
野球がうまくなりたい、大きなやつに負けへんで―。生涯を精いっぱい生き抜いた吉田さんの靴は、いつも驚くほどきれいに磨かれていた。 (時事通信社・安東茂光)
最終更新:2025年02月05日07時08分