阪神元監督・吉田義男さん死去 1985年日本一虎ナインが惜別 岡田顧問「私にとって恩人」

阪神に優勝マジックが点灯し、試合で活躍した岡田彰布と握手を交わす監督時代の吉田義男さん。この年、チームを初の日本一に導いた=1985年9月11日、横浜市

元阪神の名遊撃手で、監督として1985年に日本一に導いた吉田義男さんの訃報に4日、85年のメンバーたちが哀悼の意を示した。昨季まで阪神監督を務めた岡田彰布球団オーナー付顧問(67)は「私にとっての恩人」とコメントし、阪神の掛布雅之OB会長(69)は「『うちには日本一の4番バッターがいる』と言ってもらえたのは最高の名誉」と、感謝とともに振り返った。真弓明信元監督(71)は内野から外野へコンバートされた経緯を一番の思い出に挙げた。

虎の歴史に刻まれ、いまもなお燦然(さんぜん)と輝き続ける1985年の記憶。その指揮官の下で戦った岡田氏は突然の訃報に接し、悼んだ。

「吉田さんとは野球はもちろん、プライベートを含めて長いお付き合いをさせていただきました。私にとっての恩人です。吉田さんとの一番の思い出は、やはり1985年の日本一です」

吉田さんにとって同年は77年以来8年ぶり、2期目の監督就任だった。4月17日の巨人戦(甲子園)で永遠に語られる「伝説のバックスクリーン3連発」が生まれるなど、バース、掛布、岡田のクリーンアップをはじめとする強力打線を誇った。シーズン219本塁打はいまも破られぬ球団記録だ。2位広島に7ゲーム差をつけて21年ぶり7度目のリーグ制覇を達成。勢いそのままに日本シリーズでは西武を倒し、悲願を成し遂げた。

吉田さんとともに2人しかいない阪神の日本一監督である岡田氏は「『退院したら食事に行きましょう』と話していたのですが…。寂しい気持ちでいっぱいです」と吐露。当時1番打者だった真弓氏は内野から外野へコンバートされた経緯を一番の思い出に挙げ「優勝の話になると『真弓がコンバートをOKしてくれたから』とよく話してくれました」と振り返り、「(2009年に)監督になったときには『自分の色を出して思い切ってやれ』とよく言われました。本当に残念。タイガースの一番の貢献者です」としのんだ。

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