日本シリーズ第6戦に勝利して球団初の日本一を決め、選手らに胴上げされる吉田義男監督(1985年11月2日)
プロ野球・阪神タイガースの名遊撃手で、監督も務めた吉田義男さんが3日、91歳で亡くなった。チームを初の日本一に導き、阪神フィーバーを巻き起こした名将だった。
1985年、関西は阪神の躍進に沸いた。当時の日本一メンバーも 訃報(ふほう) にショックを受けた様子。掛布雅之・球団OB会長は「ぽっかりと大きな穴が開いた感じ。85年に『うちには日本一の4番バッターがいる』と言ってもらえたのは最高の名誉でうれしい言葉でした。本当にありがとうございました」と感謝した。
一昨年、監督として38年ぶりに日本一をもたらした岡田彰布・オーナー付顧問は「一番の思い出は、やはり85年の日本一。若くて夢中でプレーしていた私たちを引っ張っていただいた。改めて感謝の意を表するとともに、心よりご 冥福(めいふく) をお祈りいたします」と悼んだ。
吉田さんの監督就任時に二塁から外野にコンバートされた元阪神監督の真弓明信氏は、「優勝の話になると『真弓がコンバートをOKしてくれたから』とよく話してくれました。本当に残念。タイガースの一番の貢献者です」としのんだ。
現役時代にしのぎを削った読売巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督は「残念としか言葉がありません。小柄な遊撃手でありながら、大型選手並みのプレーをされていたのは忘れられない思い出です」と追悼の辞を寄せた。
海外にも競技を広める一翼を担った。90年代には、野球のフランス代表チームを監督として率いた。フランス語の男性の敬称「ムッシュ」と呼ばれるようになった。
福岡ソフトバンクホークスの王貞治球団会長は「フランスで一生懸命野球を広められ、ムッシュ吉田で有名でしたね。捕るが早いか、投げるが早いかと言われた華麗な守備は、誰にもまねできないほど素晴らしかった。心よりご冥福をお祈りいたします」と哀悼の意を表した。
サッカーの98年ワールドカップ・フランス大会前に吉田さんと知り合ったという日本サッカー協会の川淵三郎相談役は、「フランスサッカー連盟の幹部を紹介いただいた。今ほど力がなかった日本代表が、フランスと試合を組める足がかりとなった。渡仏した際に車で迎えに来ていただいたのは、忘れがたい思い出です」と懐かしんだ。