マーリンズ時代にメジャー3000本安打を放った翌日――2016年8月8日のこと。コロラドから本拠地マイアミに戻って試合前に記者会見を行ったイチロー(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)は、記録達成時に着用していたユニホームやスパイクなど5点を米国野球殿堂博物館に寄贈することを発表した。
【関連記事】
受け取るために同席したジェフ・アイドルソン館長(当時)は、それまでに6度もイチローが米野球殿堂博物館を訪れていることを明かしたが、イチローにとって米野球殿堂とは、どんな意味を持つのか? そんな問いにイチローは、「初めて行ったときは、何かを求める自分がいた」と振り返っている。
「クーパーズタウン(米野球殿堂の所在地、ニューヨーク州)はどんなところなのか、野球のためだけにある場所のようなイメージがあって、何かを求めて行って、実際に探した」
ただ、訪問を重ねるにつれ、「そのことにあまり意味がないと感じ始めた」という。
「クーパーズタウンに行くこと、それだけで何かを感じる。感じない人は恐らく、何度行っても感じないんだろうし、僕は何度行っても、だんだん何かを目的に行くというのはなくなってきたんですね。ですから、クーパーズタウンに行って、別に何かを見なくてもいい。そこにある空気に触れるだけで僕にとって特別なものなので、そういう感じ」
21日にシアトルで行われた米殿堂入りの会見では、「誰かの記録と関わったとき、その選手たちと現代に生きる自分が道具を触ることによって、なんか会話ができるような感触、話ができる感触があってすごく気持ちいい」とも振り返ったが、そんな特別な空気の一部に、イチローがなった。
米野球殿堂入りは、資格(全米野球記者協会の会員になって10年たつと投票権が与えられる)を持つ記者の投票によって決まる。イチローは今回、圧倒的な支持を得て、日本に続き、米でも殿堂入りを果たした。
現役時代、称賛もあれば、自分勝手とバッシングされたこともある。「エニグマ」という言葉もついて回った。何を考えているのか、分からないという意味だ。一方で、多くを魅了したことも確か。
結局のところ、彼に投票した米メディアはイチローをどう見ていたのだろう? シアトル、ニューヨーク、マイアミ。イチローを実際に取材した記者らの言葉を中心にまとめてみた。そこから、イチローが大リーグにおいて何を遺(のこ)したのか、たどってみたい。
昨季、ドジャースはレギュラーシーズンの最後までパドレスに粘られ、地区優勝が最終週までもつれた。プレーオフで対戦すると、瀬戸際まで追い込まれた。そのパドレスでリードオフマンを務めていたのはルイス・アラエスで、最後、大谷翔平を振り切って3年連続で首位打者を獲得している。
アラエスは、昨年、一昨年と連続で年間200安打を達成。3年連続でオールスターにも選ばれた。しかしいま、トレードのうわさが絶えない。開幕までに成立すれば、22年以降で4チーム目(ツインズ→マーリンズ→パドレス→?)となる。
これだけの選手がなぜ、毎年のように移籍するのか。トラブルメーカーという話も聞かない。ただ、シーズン終盤とプレーオフでパドレスの試合をじっくり見ていて気づいた。まったく怖くないのだ。昨季、本塁打は4本。二塁打は32本。それまでも同じようなもの。打たれても基本的には単打なのである。
同時に、現役時代のイチローに対する評価が一部で低かったのは、そういうことかと腑(ふ)に落ちたが、今回、米記者らに改めてイチローの功績を振り返ってもらうと、まるで違うイチロー像が浮かび上がってきた。
ニュージャージー州のバーゲン・レコード紙で長くヤンキースの番記者を務め、イチロー、松井秀喜も取材したピート・カルデラ記者はこう指摘した。
「アラエスは各駅停車。スピードがない。イチローは、ヒットで出塁を許すと、足があるから、投手は盗塁の警戒を迫られる。ファンは、出塁してからも、『何を仕掛けてくるんだろう』とワクワクさせられていた」
エンゼルスの番記者として長く同地区のマリナーズに所属したイチローを見てきたロサンゼルス・タイムズ紙のマイク・ディジオバンナ記者は、守備の貢献度も評価した。
「メジャーで3000本安打、日米通算で4000本を超えるヒット。これだけでも十分に殿堂入りの資格を満たすが、走塁も素晴らしかった。加えて、彼の守備は、試合の流れを変えるだけのインパクトを持っていた。身体能力が高く、アクロバティックで、彼の肩は、メジャーの歴史をひもといても、突出していた」
打撃、走塁、肩を含めた守備。アラエスの場合、ことごとく守備指標が低く、昨年のOAA(「Outs Above Average」=野手が平均よりどれだけ多くのアウトを奪ったか)はマイナス13で、内野手ではリーグワースト2位。こんなところでもイチローとは乖離(かいり)がある。
そうした総合力はもちろん、イチローのすごさの一つ。ジ・アスレチックのジェイソン・スターク記者は、メールでの取材に対し、こう回答してくれた。
「イチローのRbat(平均的な打者に対してどのくらい得点を創出したか)は84で、Rfield(平均的な野手に比べてどの程度失点を防いだか)は121である。Rbaser(平均的な走者に比べてどの程度得点に貢献したか)は62だ。過去、Rbatが80以上、Rfieldが110以上、Rbaserが50以上だったのは、イチローのほかに1人しかいない。それは、ウィリー・メイズ(ジャイアンツなど)だけだ」
もちろん、分かりやすい圧倒的な実績こそが、殿堂入りを後押ししたのだろう。
「メジャーで通算3089安打。日本で1278安打。合わせて4367安打。日米通算という評価には異論もあるが、イチローがメジャーデビューしたのは27歳のとき。それから3000本安打以上を放ったことは、信じられない」とは、MLB.comの元コラムニスト、バリー・ブルーム記者。
「もしも20代前半でデビューしていたら、メジャーだけで4000本以上のヒットを重ねていただろう」
長く一線で活躍したことももちろん、評価が高い。シアトル・タイムズの元マリナーズ番記者で、「ICHIRO: メジャーを震撼させた男」という著書もあるボブ・シャーウィン記者も、「大リーグで一番難しいのは、安定して長く活躍することだ。年間200安打というのは、1シーズンで1人出るかどうか、というレベルの記録。それを10年も続けたというのは、いま考えると、信じられない。今後、そんな選手が、出てくるだろうか?」と問いかけ、ブルーム記者と同様の指摘をした。
「しかも彼は、その10年連続を27歳から、36歳の時に達成している。年齢的に考えても、よくこの記録を維持できたと思う」
こんな視点もあった。イチローはキャリア晩年の3シーズンをマイアミで過ごしたが、当時、マイアミ・ヘラルド紙でマーリンズの番記者だったクラーク・スペンサー記者は、「私は今、65歳だが、イチローを見たとき、子供のころに見たピート・ローズなど、往年の選手のスタイルを思い出させてくれた」とデビュー時まで遡って述懐した。
「プレーが実に巧妙で、また、やり遂げる決意、粘り強さが表れていた。それは、長く失われていたものだ」
イチローがデビューしたのは、ステロイド全盛の01年。本塁打ばかりがハイライトで流れ、守備や走塁は、軽視されていた。そんなときにイチローのような選手が突如として現れ、パワー偏重野球に辟易(へきえき)していたファンが、夢中になった。また、1プレー、1プレーの裏側を考えさせるようなスタイルにも、玄人がうなったのである。
さて、注目された得票率は99.7%。たった1人だけ、イチローに投票しなかった記者がいた。それは残念だが、イチローは、「1票足りないというのは、すごく良かった」と話した。「しかも、(デレク・)ジーターと一緒ですから」
もちろん、それだけではない。
「足りないものを、これって補いようがないんですけど、努力とか、そういうことじゃないからね。ですけど、いろんなことが足りない、人って。それを自分なりに、自分なりの完璧を追い求めて、進んでいくのが人生だと思うんですよね。これとそれは、別の話なんですけど、やっぱ不完全であるというのは、いいなあって。生きていく上で、不完全だから進むことができるわけで、そういうことを改めて考えさせられるというか、見つめ合えるというか、そこに向き合えるというのは良かったなと思います」
いかにも、イチローらしい思考。足りないものを埋める、そこに向き合ってきたキャリアの集大成が、殿堂入りだったのかもしれない。