三笘薫、今季4ゴール目で先制点奪取!2-0勝利に大きく貢献!岡崎に並ぶ日本人通算ゴール最多タイ14ゴール目!!(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース

三笘薫(ロイター) ◆プレミアリーグ第21節 イプスウィッチ0-2ブライトン(英国・イプスウィッチ・ポートマン・ロード) 2025年1月15日、英国ではプレミアリーグの第21節が2試合行われ、日本代表MF三笘薫(27)が所属するブライトンはアウェーで17位イプスウィッチと対戦。三笘はこの試合でリーグ戦先発復帰。3試合振りに4ー2ー3ー1の1.5列目左サイドでキックオフの笛を聞いた。 前半は運動量が上がらず、目立ったチャンスが作れなかった。逆にイプスウィッチにカウンターからシュートを打たれた。17位の相手にどうしても負けられない試合。後半ギアを上げたブライトンが、喉から手が出るほど先制点が欲しい場面で三笘が決めた。 「やっと入ったという感じです」と27歳日本代表MF。しかし「勝たないといけない相手でしたし、相当順位も下がってきましたので。そういう意識で、自分たちはもう勝つしかありませんでした」と続けて、必勝の試合だったことを明かした。 絶対に勝たなくてはならない試合。そこで先制点を奪った。 三笘はまずオライリーが自分の足元に流れるようなパスを通したことに感謝。「彼(オライリー)のパスのクオリティは。もうチームでもトップのところだと思いますし、ほんとにいつも動き出しも見てくれるので。彼にアシストがついたのは良かったなと思います」と話して、今季4ゴール目のお膳立てをしてくれた24歳デンマーク代表MFを手放しで褒めた。 これで元日本代表FW岡崎慎司がレスターで記録した日本人のプレミアリーグ通算最多ゴール記録である『14』に並んだ。 しかし三笘は「そこは気にしないで」と話すと、「どんどんチームのために点を決めないといけないので。そういった上ではもっともっと得点を増やしていかないといけなかった。遅いぐらいかなと思ってます」と続けて、あくまで日本人の最多記録は通過点という認識を示した。 ブライトンはこの後、後半36分にFKからのプレーでラターが至近距離からうまくこぼれ球にターンしながら右足を合わせて2点目を加点。8試合続いたリーグ戦未勝利にやっと終止符を打ち、11月23日ボーンマス戦以来の勝利の美酒に酔った。 久々の勝ち点『3』。しかも11月29日のサウサンプトン以来途切れていたゴールも奪った。しかし次戦は中2日でマンチェスターUとアウェーで戦う。 三笘は「まずリカバリーが大事なんで。どういうメンバーになるかは分からないですが、本当にチームとしては勝つことが大事だと思います」と語って、同日サウサンプトンに先制されながら試合終盤に3点を集中させて3-1逆転勝ちに成功した強敵マンチェスターU相手の試合にも必勝を誓っていた。 報知新聞社 スポーツ報知 ******* **************************************************************************** ******* ****************************************************************************

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横綱・照ノ富士が引退の意向固める 大関から序二段に転落→横綱昇進も心身ともにぼろぼろ 優勝10度も力尽きる|au Webポータル

◆大相撲初場所5日目(16日、東京・両国国技館) 大相撲の横綱・照ノ富士(33)=伊勢ケ浜=が現役引退の意向を固めたことが16日、分かった。日本相撲協会関係者が明らかにした。2場所連続全休明けの今場所は4日目に2敗目を喫するなど不振。5日目(16日)を休場していた。大関から序二段に転落しながら復活した強い精神力も力尽きた。優勝10度。親方となる条件の日本国籍は取得済みで、今後は親方として後進の指導に当たる。横綱の引退は2021年9月の白鵬以来。 度重なる苦境を乗り越えてきた不屈の横綱が土俵に別れを告げる。照ノ富士が横綱在位21場所で、現役に区切りをつけた。今場所は4日目に2敗目を喫するなど不振。右膝と腰の痛みのため、15日夜に本人から伊勢ケ浜親方に申し出て、5日目を休場していた。満身創痍(そうい)の体にむちを打って再起を目指したが、33歳となった自身の衰えにはあらがえなかった。 3場所ぶりに復帰を決めた今場所前には「ダメだったらダメで結果はどうなろうと認めるしかない」と語っていた。初日黒星で迎えた2日目には、ドルジハンド夫人と2歳の長男・照務甚(てむじん)くんらを国技館に呼んで、気迫の勝利を届けた。「今場所で自分の全てを出し切ってやりたいなと思っていた。後先を考えずにやりたいなと思っている」。進退をかけて臨んだ場所だったが、3場所連続24度目の休場とともに引き際の判断に至った。 苦難の土俵人生だった。23歳で大関になるも2年余りで陥落。けがや糖尿病も重なり、長期休場で、2019年春場所には序二段まで番付を落とした。心身ともにぼろぼろで何度も引退を申し出たが、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)の「後悔を残してはいけない」との説得で翻意した。21年の名古屋場所後、第73代横綱に昇進。昭和以降で大関陥落後に平幕以下から最高位にはい上がったのは初の偉業だった。ただ、相撲を取る際は両膝に大きなサポーターが欠かせず、わずかな段差を下りる時は人の手を借りなければいけないほどだった。 新型コロナウイルス禍で厳しい運営を強いられた角界の屋台骨を支え、一人横綱を3年以上務めた。21年には4度の優勝を遂げ、昨年の名古屋場所では目標としてきた2ケタ優勝を達成。ただ昨年までの3年間で18場所のうち、15日間皆勤は6場所にとどまった。責任を果たせていないことを自覚し「早く誰か上がってきてほしい」と次の横綱誕生を待望していた。 日本相撲協会に親方として残る条件の日本国籍を取得している。以前から引退後は親方になりたいとの意向を持ち、今後は伊勢ケ浜部屋で部屋付き親方として後進の指導に当たる。 ◆照ノ富士 春雄(てるのふじ・はるお=本名・杉野森正山)第73代横綱。優勝10回。殊勲賞、敢闘賞、技能賞各3回。得意は右四つ、寄り。192センチ、176キロ。33歳。

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「最も傑出した選手」「常に危険」圧巻の出来!絶妙アシストの久保建英を現地メディアが驚異の“9点評価”で絶賛!「ラージョは彼に大いに苦しめられた」 | サッカーダイジェストWeb

ラージョ戦で躍動した久保。(C) Getty Images 画像を見る 現地1月16日に開催されたコパ・デル・レイ(スペイン国王杯)のラウンド16で、久保建英が所属するレアル・ソシエダがラージョ・バジェカーノとホームで対戦。3-1で快勝を飾った。 この試合で圧巻のパフォーマンスを披露したのが、3日前のビジャレアル戦(1-0)でゴラッソを叩き込んだ久保だ。 いつも通り4-3-3の右ウイングに入ると、序盤から次々にドリブルで仕掛け、チャンスを構築する。 23分には、左サイドからドリブルで仕掛けて、絶妙なグラウンダーのクロスを供給。ミケル・オジャルサバルがダイレクトで合わせた先制点をアシストしてみせた。 【動画】久保がキレキレの突破から絶妙のアシスト! その後も躍動した日本代表MFを現地メディアも絶賛。『El Desmarque』のギプスコア版は、チーム最高タイの「9点」をつけ、こう称えている。 「オヤルサバルとともに、この試合で最も傑出した選手となり、彼の攻撃に大いに苦しめられたラージョに対して常に危険を作り出した」 中2日とは思えないほどのキレキレぶりだった。 構成●サッカーダイジェストWeb編集部 【記事】「漫画の選手のように天才的だ」鮮烈ゴラッソの久保建英をスペイン大手紙が絶賛!「悪魔のスピード→見事な股抜き→素晴らしいシュート」 【記事】「水原一平はめちゃくちゃ有名。下手したら大谷翔平より」米国でプレーする元日本代表主将が“野球人気”に言及「お前、何か知らねぇのかと…」  

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奔放、そして孤高 不屈の横綱がのぞかせた「本音」 照ノ富士引退

大関昇進後も横綱・日馬富士(左)との稽古で泥だらけになり、苦しい表情を浮かべる照ノ富士。毎日「緊張する」という稽古場の雰囲気が成長を促した=東京都江東区の伊勢ケ浜部屋で2015年9月6日、岩壁峻撮影 大相撲初場所で幕内優勝10回の横綱・照ノ富士(伊勢ケ浜部屋)が現役を引退した。3場所ぶりに本場所に戻ってきた一人横綱に進退を問う声は上がっておらず、横綱審議委員会も静観の構えだった。だが、角界史に残る復活劇を遂げた執念とは対照的に潔さも漂わせ、角界の第一人者は土俵に別れを告げた。 大相撲への憧れを幼少期から抱いていた。 同郷の元横綱・白鵬(現宮城野親方)に中学時代に初めて対面し、小遣いをもらったことも。生まれ育ったモンゴルで大学に飛び級で進んだという秀才は、2010年に強豪・鳥取城北高に相撲留学し、その後に元横綱・二代目若乃花が師匠の間垣部屋の門をたたき、「若三勝」のしこ名で11年5月の技量審査場所で初土俵を踏んだ。 入門当初は身長191センチ、体重161キロで、稽古(けいこ)場では三段目時代でも、十両力士と互角以上に渡り合った大器だった。その才能がさらに開花したのは、師匠の健康上の理由で間垣部屋が閉鎖され、13年春場所後に伊勢ケ浜部屋に移籍してからだ。 横綱・日馬富士を筆頭に、業師の安美錦(現安治川親方)や正攻法の宝富士――。タイプの違う力士にもまれ、同年秋場所に十両へ昇進した。関取となるとしこ名も「照ノ富士」と改めて十両を所要3場所で通過し、14年春場所で新入幕を果たした。 番付を駆け上がっていた当時の取材では奔放な言動が目立ち、「書くなよ」と自ら制することも。やんちゃな印象が強かった。ただ、時折口にする本音も聞き逃すことができなかった。 …

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FBI dumps ‘radical’ diversity and inclusion department

The FBI has ditched its diversity and inclusion department ahead of Donald Trump’s inauguration.  The president-elect vowed to crack down on DEI initiatives during his time in office. A number…

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阪神・淡路大震災30年 神戸・東遊園地、灯る「よりそう」 午前5時46分に黙とう

阪神・淡路大震災から30年。大勢の人が集まり、「よりそう」の文字が竹灯籠で浮かび上がる=17日午前5時46分、神戸市中央区加納町6、神戸市役所展望ロビーから(撮影・笠原次郎) 静かに目を閉じ、まぶたの裏に浮かぶのは、大切なあの人-。6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神・淡路大震災は17日、発生から30年となった。追悼行事「1・17のつどい」が開かれる神戸市中央区の東遊園地には未明から多くの人が訪れ、地震発生時刻の午前5時46分に合わせて黙とうをささげた。 東遊園地では、「よりそう 1・17」の文字をかたどった灯籠に、参加者がゆっくりと火をともしていった。昨年1月の能登半島地震など各地で災害が相次ぐ中、「被災地や被災者に心の中で寄り添う」との願いが込められた。30年の節目ということもあり、例年の1・3倍となる約7万人の来場が見込まれている。 17日は、県内各地で50以上の追悼行事が予定されている。県公館(同市中央区)で開かれる「阪神・淡路大震災30年追悼式典」には天皇、皇后両陛下が出席される。 阪神・淡路大震災では、国内観測史上初めて震度7を記録。住宅被害は全壊・半壊が計約25万棟、一部損壊が約39万棟に及んだ。震災後、避難生活の心労や持病の悪化で命を落とす「災害関連死」の概念が生まれたが、避難所の過酷な環境などは今なお各地で課題となっている。(杉山雅崇)

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阪神・淡路大震災30年、橋本環奈ら朝ドラ『おむすび』劇中で黙祷「うちらの世代が伝えていきます」 各局で特番(オリコン) – Yahoo!ニュース

連続テレビ小説『おむすび』主演の橋本環奈(C)ORICON NewS inc. 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から、17日で30年を迎えた。関西を中心にテレビ各局は、30年前の「1・17」を振り返り、犠牲者を追悼、防災の大切さを伝えた。 【写真】『おむすび』公式が震災30年に誓い 1・17追悼の様子 神戸が舞台のNHK連続テレビ小説『おむすび』は、同日に「1・17」からちょうど17年後が描かれ、実際の追悼の様子を流した。ヒロイン・結(橋本環奈)や家族らが手をあわせ、「寒かったなーあの日は」と会話。 親世代は「徐々に忘れられていくんかな、あの日のこと、20年後、30年後でも、覚えてくれとう人おるんかな」、平成世代は「おるに決まってるやないですか、しっかりうちらの世代が伝えていきます」と絆をつないだ。 物語は、ちょうど今週、2011年3月11日に発生した東日本大震災後を描いた。神戸の黙祷、東北の黙祷を重ねる演出となった。 ドラマの公式Xでは「1月17日。それぞれの場所で、黙祷を捧げます。あの日のことを忘れないように、次の世代へ伝えていくことを誓います」とつづった。 各局は、早朝から「阪神淡路大震災1.17のつどい」を中継。NHKのほか、関西では、民放各局も特番体制で「1月17日午前5時46分」に心をあわせた。震災特番も多数放送予定。 オリコン ******* **************************************************************************** ******* ****************************************************************************

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フジテレビ社長きょう会見へ 中居正広さん女性トラブル報道で | NHK

タレントの中居正広さんと女性とのトラブルに、フジテレビの社員が関与していたなどと週刊誌で報じられたことをめぐり、フジテレビは港浩一社長が17日記者会見します。一連の報道に対する会社としての見解を明らかにすると見られます。 タレントの中居正広さんと女性とのトラブルで、きっかけとなった食事会をフジテレビの社員が設けていたなどと週刊誌で報じられたことに対し、フジテレビはホームページで「食事会の設定を含め、一切関与しておりません」としています。これについて、フジテレビは17日午後、港社長が出席して記者会見を開きます。週刊誌が報じてから、会社が会見を開くのは初めてです。フジテレビは外部の弁護士を入れて去年から調査を進めているとしていますが、調査の目的や方法などについて港社長がどのように説明するのかが注目点となります。また、フジテレビを傘下にもつ「フジ・メディア・ホールディングス」に対し、7%余りの株式を保有するアメリカの投資ファンド「ダルトン・インベストメンツ」が14日、第三者委員会の設置を求める書簡を送ったことを明らかにし「この問題への対応が遅れたり、あいまいになったりした場合、視聴率の低下やスポンサー離れにつながり、株主価値がさらに損なわれる可能性がある」などと指摘しています。 こうした大株主の意見に対し、会社がどう答えるのかも17日の会見の焦点となります。 ページの先頭へ戻る

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「ミトマのシュートはベストではない。お粗末な失点だ」元チェルシーGKが糾弾!「イプスウィッチは自陣でキャンプ」とも(SOCCER DIGEST Web) – Yahoo!ニュース

先発起用に応える活躍を見せた三笘。(C)Getty Images 現地時間1月16日に開催されたプレミアリーグ第21節で、三笘薫を擁する11位のブライトンは、17位のイプスウィッチと敵地で対戦。2-0で快勝し、リーグ戦9試合ぶりに勝利を収めた。 【動画】相手GKは止められた?三笘が奪った決勝点 立ち上がりから押し込みながら1点が遠い、重苦しい展開を打破したのは、日本代表のエースだ。左サイドハーフで先発した三笘は、逆サイドからの攻撃の際に、ペナルティエリア内でマット・オライリーからラストパスを受けると、右足での渾身のシュートで見事にネットを揺らしてみせた。 もっとも、三笘のシュートはジャストミートしたとは言い難い。決して強烈な一撃ではなかったが、相手GKクリスティアン・ウォルトンの横をすり抜けてネットを揺らした。 それだけに「ウォルトンは止められたはず」という声も上がっている。英公共放送『BBC』によれば、元チェルシー守護神のマーク・シュワルツァー氏もそう見ている1人で、解説時にこう言い放った。 「カオル・ミトマのシュートはベストではなかった。お粗末な失点だ。イプスウィッチにとっては非常に残念だ」 オーストラリア代表史上最多の109キャップを誇る52歳はその後、「イプスウィッチはよく守っているが、ボールをキープできていない。後半のここまでのところ自陣でキャンプをしている」とも口にした。下位に沈む昇格組のプレーに思うところがあるようだ。 構成●サッカーダイジェストWeb編集部 SOCCER DIGEST Web ******* **************************************************************************** ******* ****************************************************************************

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奇跡がつないだ「助けて!!」 震災当日デイリースポーツ発行を振り返る 神戸-東京-大阪-神戸経て「生の声」 #阪神淡路大震災から30年(デイリースポーツ) – Yahoo!ニュース

阪神淡路大震災で被災、全壊となった神戸新聞・デイリースポーツの社屋=1995年1月26日撮影 30年前の1月17日、デイリースポーツは発行の危機にひんしていた。阪神・淡路大震災によって兵庫県神戸市のJR三ノ宮駅前にあった本社ビルは機能不全に陥り、自社での新聞制作は不可能になった。手を差し伸べてくれたのは東京・木場にあった日経印刷(現日経東日本製作センター)。刻々と時間が過ぎる中、神戸-東京-大阪-神戸と奇跡のバトンがつながった。「助けて!!」という生々しい見出しがついた紙面はいかにして作られたのか。その過程を関係者の証言、震災3年後に編集された50年史などを元にひもとく。 【写真】「助けて!!」震災翌日のデイリー1面 ◇ ◇ 午前5時46分の地震発生からおよそ4時間後の午前10時ごろ。デイリースポーツ東京本社報道部長・宮本良介と神戸新聞社制作局次長・林一成の間で交わされたという電話の記録が残されている。 「夕刊は出せるか」(宮本) 「とてもやないが、あかん」(林) 「朝刊は?」(宮本) 「無理や。それどころやない。当分あかん」(林) 宮本は、林の言葉で事態の深刻さを受け止めた。神戸本社の社屋、ホストコンピューターは壊滅的に損傷。自社での新聞制作を断念せざるを得ない状況に追い込まれていた。 親会社である神戸新聞社本体は、京都新聞社との間で震災前年の94年に緊急事態発生時の「新聞発行援助協定」を締結しており、京都新聞での新聞制作へかじを切った。だが、デイリーは独自の判断を求められた。編集局長・三谷敏明は大阪の印刷会社へ制作を要請したが断られていた。いちるの望みは東京に託された。 JR大崎駅付近にあった東京本社は、案内広告で付き合いのあった東西線・木場駅近くの日経印刷への依頼を決断。同社の総務部に電話を入れた。社長・寺畑光朗は人間ドックを受けており不在。事情を説明して電話を切った。宮本は、東京代表・豊田博和と直談判に動いた。 「『日経に行きましょう、それしかないんだから』って。あの時の宮本さんは頼もしかった」。当時、東京報道部次長だった岡本清は宮本の毅然とした姿を思い起こす。 岡本は冒頭の電話のやりとりを始め、震災発生後の動きをドキュメントとして記録。17日分には、そこからデイリーに光が差し込む展開が記されている。 「(豊田、宮本が)地下鉄を出たところで、前を歩いているのが寺畑社長。事情を説明すると『考えてみましょう』。社に着いてすぐ、制作幹部を招集。既にその時点で前向きな検討に」 寺畑は会社からの連絡を受け、ドックを切り上げてくれていた。午後1時、受諾の報は神戸本社に届けられた。 当時デイリーは朝刊に加え、東京でレース主体の夕刊を発行していた。見出しやレイアウトを担当する整理部門は神戸本社に集約されていたため、東京在住の整理経験者であるレジャー芸能の新藤正ら4人が緊急招集された。そのうちの1人、鈴木創太は15日に神戸の整理部から東京本社に異動したばかりの新人記者で取材先の両国国技館から木場に合流した。「原稿は地震しかない。ストレートに惨状を訴えよう」。整理マンだった宮本が呼びかけた。 用意された小部屋が臨時編集局となった。電話とファクスが引かれ、大崎の東京本社からは手打ちされた共同原稿や吹き込み原稿が送られてきた。割り付け用紙との格闘が始まった。新聞が出せないかもしれないという不安は消え去り、OBらもかけつけた臨時編集局は熱気に包まれた。 日経印刷で働いていた大勢の女性オペレーターらは、初めて経験するスポーツ紙制作に戸惑いながらも通常の勤務時間を超えて作業を続けた。レースの出走表などの組み立ては日経新聞本社が引き受けてくれた。 定刻を過ぎたものの夕刊紙面が完成。朝刊作業へのメドも立った。関西用の朝刊は通常の約半分しかない12ページ。最後に完成させた白黒の1面には「助けて!!」の大見出しがつけられた。考案した新藤は言う。「最初は震度とか地震の状況を伝える見出しだった。それだと続報が入ってくる他社にはかなわない。これからどうなるか分からない、切羽詰まっている実情を訴えたかった。地元にしてみれば『助けて』が一番じゃないかと思った」 応援部隊として午後2時過ぎに神戸本社から東京に出発した整理部の瀬川大次郎ら4人は午後9時過ぎに木場に到着した。「母さんを頼むぞ」と高校2年の息子に告げて、着の身着のままで家を出ていた瀬川は、下はパジャマ姿。すでに組み上がっていた「助けて!!」の1面に胸を熱くした。「奇跡やな。ここまでようやったと思った」と述懐する。 完成した紙面フィルムを神戸に届けるルートも、寺畑の提案で確保され、木場-日経新聞東京本社-日経新聞大阪本社へと電送。待機していたバイク便が渋滞が続く深夜の悪路を、フィルムの入った筒を携えて西へと向かった。目的地は被害を免れていた神戸市西区にある神戸新聞社の印刷工場、製作センター。到着したのは18日深夜1時過ぎだった。 製作センターに詰めていた整理部副部長・小笹誠治が残した当時の記録には「輪転機がごう音を立てて回り始めたのは18日午前2時02分、4時00分刷了。感動的な一瞬だった」とある。 年月を経ても、当時の気持ちの高ぶりは鮮明によみがえる。小笹はインキのにおいのする新聞を手にした瞬間を「ザッザッザッって輪転機から新聞が出てきて気持ちがいっぱいになった。新聞の形をしていることが大事だった。発行が途切れたら取り返しがつかなかった」と振り返った。 休むことなく新聞を出すという個々の執念。即断に近い形で思いを受け止めてくれた日経印刷によってデイリーは生きながらえた。綱渡りの新聞制作から30年。被災地の惨状、悲痛な声を表現したあの日の紙面は、今なおデイリーの象徴であり続けている。(敬称略、肩書は当時)=デイリースポーツ・若林みどり デイリースポーツ ******* **************************************************************************** *******…

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