王756号の球審務めた富沢宏哉氏、特別表彰で殿堂入り…歴代2位3775試合出場(スポーツ報知)|dメニューニュース
野球の発展に寄与した人物が対象の特別表彰では、元審判員の富沢宏哉氏(93)が殿堂入りした。1回目の投票で必要数(10票)を満たした候補者がなく、上位3人による再投票で同氏に決まった。 富沢氏は1955年にセ・リーグ審判員となり、72年には米の審判学校に自費留学するなど、最新の審判技術を日本球界に導入した。王貞治が世界記録の通算756号本塁打を放った77年9月3日の巨人―ヤクルト戦(後楽園)で球審を務めるなど、在籍35年間で歴代2位の通算3775試合に出場。野球規則委員、全日本野球会議審判技術委員などを務めるなど、プロ・アマの審判技術向上に貢献した。 元プロ野球審判員の殿堂入りは昨年の谷村友一氏に続き9人目。つえをついて通知式に出席した93歳の富沢氏は「長生きできて本当によかった。ありがとうございます」と、ストライクコールのように左手を高く上げて喜びを語った。 ◆富沢 宏哉(とみざわ・ひろや)1931年7月25日、東京都生まれ。93歳。小金井高(現小金井工科高)出身。社会人野球の審判員を経て55年にセ・リーグ審判員に。在籍35年間で通算3775試合に出場。日本シリーズ、オールスターに各9度出場。80〜89年にセ審判部長。野球規則委員、全日本野球会議審判技術委員などを歴任。
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「経験伝えていけたら」イチロー氏と神戸、今も続く特別なつながり
野球殿堂入り通知式で笑顔を見せるイチロー氏=東京都文京区で2025年1月16日(代表撮影) 野球殿堂博物館は16日、今年の殿堂入りメンバーを発表し、競技者表彰は日米通算4367安打を放ったイチロー氏(51)=本名・鈴木一朗=が選ばれた。イチロー氏が「特別な街」と表現する都市がある。1992年に愛知・愛工大名電高からドラフト4位で入団したオリックスが当時、本拠地を置き、プロ生活の第一歩を踏み出した神戸だ。 登録名を本名から「イチロー」に変更して臨みレギュラーに定着した94年。日本プロ野球史上初めて200安打を超えるシーズン210安打をマークした。新シーズンのさらなる飛躍が期待されていたとき、神戸の街を悲劇が襲った。95年1月17日に発生した「阪神大震災」。人でにぎわう駅前も、なじみの店も、慣れ親しんだ風景が消えた。 イチローさんは16日、通知式でのスピーチで、翌17日に震災発生から節目の30年を迎えることに、自ら言及し、…
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国生さゆり、月収83円だった過去明かす「私の不徳の致すところ」|au Webポータル
【モデルプレス=2025/01/16】国生さゆりが、16日放送のフジテレビ系お昼のバラエティ番組「ぽかぽか」(毎週月~金曜ひる11時50分~)に出演。仕事がなくなった時期について振り返った。 (写真 : 国生さゆり(C)モデルプレス) ◆国生さゆり、月収83円の過去国生はミッツ・マングローブとともに世間からのイメージに答えていく番組内コーナー「ぽいぽいトーク」に出演。活動の歴史を年表で追う中で1991年からはスキャンダルをきっかけにバラエティ番組への出演が多くなったという。MCのハライチ・澤部佑から「お仕事はずっとあったからお給料は安定していました?」と聞かれると、国生は「そんなことないですよ。山あり谷ありで。今もそうですけどね」と否定。28歳の時仕事が全くなくなった時期もあったといい「(月収)83円でしたね。歌唱印税です」と過去の歌唱印税のみだったと明かしていた。仕事がなくなった理由については「私の不徳の致すところです」と濁した国生。澤部が「それがスキャンダルってことですかね?」「視聴者の方はもう調べて分かってるでしょうね」と話し、スタジオを和ませていた。 さらにヒットを記録した国生のソロデビュー曲「バレンタイン・キッス」は「withおニャン子クラブ」名義だったため「(歌唱印税が)40等分くらいされる」「必ず一言でもメンバーの方にお声をお借りするとその人数で割るんです」とメンバーも含まれていると伝えていた。(modelpress編集部) 情報:フジテレビ 【Not Sponsored 記事】
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「2度の離婚を経験」元おニャン子クラブメンバー 美魔女な近影に騒然「58歳?」「めちゃめちゃ綺麗」|au Webポータル
元おニャン子クラブのタレント・国生さゆり(58)が16日放送のフジテレビ系「ぽかぽか」(月~金曜・午前11時50分)に出演した。 15年来の仲良しだというタレントのミッツ・マングローブと「ぽいぽいトーク」のゲストで登場し、オープニングではテロップで「2度の離婚を経験」とも紹介。「恋愛はもうコリゴリっぽい」との質問に「〇」で答え、「今の自分の生活がすごい好きなんですね。だからそれを誰かが入って、なんとかするって変わってくるじゃないですが、潮流が。それがいやだなって」と説明。ミッツが「今までの遍歴見てもすべて電撃的だった」と語りかけると、国生は「やめろ!」とつっこんだ。 アイドルを辞めた後は波乱万丈で、「28歳ぐらいのとき(月収が)83円でした」とも明かした国生。「全然モテない」と笑ったが、淡い色合いのスカート姿で美ぼうは健在。ネットでは「国生さゆり可愛すぎる」「めちゃめちゃ綺麗」「いくつになっても、超美人」「久しぶりにテレビで観た!いくつになってもやっぱり笑顔が可愛い」「58歳?すごすぎる…ずっと可愛い」などの声が上がった。
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In Defense of Equity Work | Opinion
With the incoming administration pledging to end federal diversity, equity, and inclusion (DEI) programs as a day-one priority, the implications for public education are profound, putting critical work at risk….
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食品・経口薬への「赤色3号」使用禁止 米FDA:時事ドットコム
【ワシントンAFP=時事】米食品医薬品局(FDA)は、合成着色料の「赤色3号(エリスロシン)」の食品と経口薬への使用を禁止する措置を決定した。米保健福祉省が15日付の連邦官報で明らかにした。赤色3号をめぐっては、動物実験で発がん性が認められるとして以前から物議を醸していた。(写真はスーパーマーケットの棚に並べられた赤色3号〈エリスロシン〉が使われた商品) 今回の決定は、2022年11月に米国のNPO、公益科学センター(CSPI)などが提出した請願を受けて下された。同請願が引き合いに出している「デラニー条項」では、人または動物への発がん性が認められる着色料の使用を禁じている。 FDAは赤色3号について、1990年には既に、雄のラットで甲状腺がんの誘発が認められたとして、化粧品への使用を禁止すべきと判断していた。 しかし、主に食品業界からの抵抗を受け、食品での使用は続けられてきた。一例として、マラスキーノ・チェリーは特徴的な真っ赤な色を保つために赤色3号で着色されてきた。 米政府運営のデータベース「DailyMed」の検索によると、赤色3号は数千種類のキャンディーやスナック、果物製品、さらに数千種類の薬剤にも使用されている。 FDAは、食品メーカーは2027年1月15日、経口薬メーカーは2028年1月18日までに同着色料の使用を改めるよう指示している。 一方で、ラットでの発がん性は認められたものの、人に対する発がん性は立証できていないとし、人の場合はラットとはホルモン機能に差があり、また、ばく露レベルも著しく低いと指摘している。【翻訳編集AFPBBNews】 〔AFP=時事〕 最終更新:2025年01月16日17時46分
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4367安打の「天才打者」 平成の野球を支えたスター―イチローさん・野球殿堂:時事ドットコム
時事通信 運動部2025年01月16日20時32分配信 野球殿堂入りし、王貞治さん(右)と記念写真に納まるイチローさん=16日、東京都文京区(代表撮影) 日米通算4367安打―。野球の歴史に名を刻んだイチローさんが、順当に殿堂入りを果たした。安打を打つ技術で右に出る選手はいない。ゲストスピーカーを務めた王貞治さんをして「ボールとバットの芯を結ぶ天才。人間業ではない」と言わしめた。 イチローさんのスピーチ要旨 野球殿堂 1994年に彗星(すいせい)のごとく現れ、独特の「振り子打法」で前人未到のシーズン210安打をマーク。この活躍をきっかけに「打率」だけでなく「安打数」にもファンやマスコミの注目が集まるようになった。 名前の「一朗」をカタカナにした登録名は、当時としては画期的。「イチロー」が94年の新語・流行語大賞になるなど、20歳の青年はスターへの階段を駆け上がり、平成の野球人気を支える存在となった。 2001年からは米大リーグでプレー。日本時代に比べて長打こそ減ったものの、卓越した打撃技術と俊足を武器に、米国でも安打を量産した。04年に大リーグ記録を84年ぶりに塗り替えるシーズン262安打をマークするなど引退までに3089安打を重ね、米国の野球殿堂入りも確実視されている。 元号が平成から令和に変わるおよそ1カ月前の19年3月、東京ドームでの試合を最後に現役を引退。現在は自らのプレーで手本を示しながら、高校生など後進の指導に尽力している。「これからも自分が動けなくなるまで野球に携わって、日本野球の力になりたい」。イチローさんの挑戦は今も続いている。 最終更新:2025年01月16日20時32分
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掛布雅之氏は大きな勲章を授かっても野球との距離感は不変 常に選手へのリスペクトを持ち続けている|au Webポータル
今年の野球殿堂入りの通知式が16日、都内の野球殿堂博物館で行われ、エキスパート表彰で阪神OB会長・掛布雅之氏(69)=スポーツ報知評論家=の殿堂入りが決まった。指導者、評論家に転じてからの引退後を担当する島尾浩一郎編集委員が、掛布氏の横顔を紹介する。 令和の選手たちは一部の心ないファンから、SNSやネット上で誹謗(ひぼう)中傷されている。掛布氏の活躍した昭和はその“攻撃”が直接的だった。球場でのヤジにとどまらず、自宅にカミソリ入りの手紙が届き、愛車にいたずらもされた。一番つらかったのは、連れて歩いていた安紀子夫人が罵声を浴びたときだった。 「阪神ファンが嫌いだった」。その気持ちが氷解したのは、引退試合で甲子園のスタンドに掲げられた「夢をありがとう」の垂れ幕を見た時。強すぎる愛の裏返しだったと悟った。殿堂入りのスピーチでも「ファンの温かい声援があったから、今ここに立っていられる」と感謝の思いを伝えた。 支えてくれた仲間たちへの思いも忘れることはない。現役時代の番記者メンバーとの食事会は毎年、欠かさない。阪神2軍監督時代に裏方として支えてくれたトレーナーらとのゴルフコンペも続けている。「打席では誰も助けてくれない。プロ野球選手は一人に強くないといけない」と常々、口にするが、絆は大事に紡いできた。愛妻と2人でのゴルフも大切な時間だ。 色紙に添える言葉は「憧球(どうきゅう)」。野球に対する思いを表す造語だ。評論活動でも常に選手へのリスペクトを持ち続けている。会見では投高打低の現状の意見を聞かれたが「打者を責めるつもりはないです。我々の頃より技術もあると思いますし、データも集めています。その中で勝負しているわけですから」と擁護。大きな勲章を授かっても掛布氏と野球との距離感は不変だ。(島尾 浩一郎)
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照ノ富士 現役引退を決意 大関から序二段転落も復活 第73代横綱、力尽きる(スポニチアネックス)|dメニューニュース
第73代横綱・照ノ富士(33=伊勢ケ浜部屋)が現役引退を決意したことが16日、分かった。2場所連続全休明けで再起を目指した初場所は4日目の翔猿戦に敗れ、2勝2敗と不振。5日目から3場所連続24度目、横綱在位21場所で13度目の休場を発表していた。23歳での大関昇進後、両膝のケガや糖尿病などにより序二段に転落しながら復活した強い精神力も力尽きた。優勝10度。親方となる条件の日本国籍は取得済みで、今後は親方として後進の指導に当たる。 大関から序二段に転落しながら復活した強い精神力も力尽きた。優勝10度。親方となる条件の日本国籍は取得済みで、今後は親方として後進の指導に当たる。 横綱の引退は2021年9月の白鵬以来。初場所後に大関・豊昇龍が横綱にならなければ、1993年春場所の曙から続いた外国出身横綱が番付から途絶え、2003年春場所の朝青龍を皮切りに5人輩出したモンゴル出身横綱もいなくなる。 照ノ富士は昨年7月の名古屋場所で10度目の優勝を遂げた後、両膝痛や糖尿病の悪化に苦しんだ。右四つの力強い取り口を取り戻せず、横綱在位は21場所だった。 相撲留学した鳥取城北高から間垣部屋に入門した照ノ富士は11年5月の技量審査場所で初土俵。部屋閉鎖で13年春場所後に伊勢ケ浜部屋へ転籍し、15年夏場所後に23歳で大関に昇進した。両膝のケガや内臓疾患の影響で落ちた序二段からはい上がり、21年名古屋場所後に横綱昇進を果たした。初場所は2日目に夫人ら家族を国技館に呼び「今場所は自分の中でやれることをやって、ダメだったらという思い」と悲壮な覚悟を示していた。
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Packers fans harassed by foul-mouthed Eagles fan in viral video speak out
Two Green Bay Packers fans from Pennsylvania are speaking out after a viral video of them being harassed by a foul-mouthed Eagles fan during Sunday’s wild card game sparked outrage…
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