【鳥谷敬】忘れられない阪神掛布2軍監督の気遣い 苦悩の時期に突然「大変だとは思うけど…」 – プロ野球 : 日刊スポーツ

野球殿堂入り通知式を終えバース氏のレリーフと笑顔で写真に納まる掛布氏(撮影・垰建太)

阪神OBの掛布雅之氏(69)が16日、エキスパート表彰で殿堂入り。同氏の阪神2軍監督時代から親交が深い日刊スポーツ評論家の鳥谷敬氏(43)が感謝の祝福コメントを寄せた。【聞き手=佐井陽介】

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掛布さんと深い話をさせてもらうようになったのは、確か16年からだったはずです。当時、掛布さんは阪神の2軍監督。一方の私は35歳にしてプロ野球人生で初めてと表現してもいいぐらい苦しい日々を過ごしていました。開幕直後から調子が上がらないまま、夏が終わる頃には後輩の北條史也選手に遊撃スタメンの座を奪われた1年。掛布さんから声をかけてもらったのは、そんなシーズンの途中でした。

その頃の私は甲子園でナイターが開催される日は必ず、午前中から室内練習場で体を動かしていました。掛布さんはこのルーティンを知ってくれていたのでしょうか。鳴尾浜の2軍戦が雨天中止となったある日。ファーム本隊が午前中に甲子園室内で練習するタイミングで突然、自分のもとにわざわざ話をしに来てくれたのです。「大変だとは思うけど、こういう時こそ周りの後輩たちもみんなオマエの姿を見ているのだから、頑張るんだぞ」。そんな心のこもった言葉にどれだけ励まされたことか…。

掛布さんとはそれまで決して接点が多いわけではありませんでした。それなのに自分のことを気にかけてくれていたのだと、本当に驚き感謝したものです。当時の2軍監督付広報は、早大で私の2学年先輩にあたる東辰弥さん。東さんが掛布さんにお願いしてくれたのか、掛布さんが会いたいと思ってくれたのか、過程は分かりません。ただ、内情がどうであれ、掛布さんは私にとって「一番苦しい時に親身になってくれた方」に違いありません。

掛布さんはあれほどのレジェンドなのに、後輩に自分の意見を無理強いしたりはしません。18年か19年のオフ、食事をご一緒させてもらった時もそうでした。当時の私は断酒中。掛布さんから「今日ぐらいは飲んだら?」と気を使ってもらっても、かたくなにお酒を口にしませんでした。それでも掛布さんは一切怒らない。むしろ「おまえ、すごいな」と笑って許してくれました。どんな話題でも「俺はこう思うけど、トリはどう思う?」と押しつけない。いつだって柔軟な考え方を持っているから2軍監督時代、40歳前後も年が離れた“今どきの若者”ともスムーズにコミュニケーションを取れたのでしょう。

ミスタータイガースと呼ばれ、最後まで「阪神の4番」にこだわったままユニホームを脱がれた方。誰よりもタイガースを背負うしんどさを知っている方です。食事中に聞かせてもらう内容も技術論よりは人間、生きざまの部分が多いような気がします。私は現役生活最後の2年間をロッテで過ごしました。掛布さんはもしかしたら阪神鳥谷敬のまま引退するべきだと考えていたかもしれません。それでも最後、引退を報告した際には「ロッテでいろいろな経験を積めて良かった」とねぎらってくれました。これからも変わることなく、優しく真剣に後輩を思い続けてくれるはずです。(日刊スポーツ評論家)

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