脳梗塞で死去・吉田義男さん、川淵三郎さんは「日本サッカー界、ヨーロッパに拠点ができたことは吉田さんのお力添え」(中日スポーツ)|dメニューニュース

プロ野球阪神の名遊撃手で、監督として1985年に球団初の日本一に導いたのため死去したことを受け、日本サッカー協会は4日、吉田さんと親交があった川淵三郎相談役の追悼文を公表した。

【追悼文全文】

吉田義男さんの訃報に接し、心からお悔やみ申し上げます。

フランスで野球の代表チームの強化に携わられ、野球の発展に尽力された吉田さんですが、私はもとより日本サッカー界も大変お世話になりました。

吉田さんと初めてお会いしたのはFIFAワールドカップフランス1998の数年前、早稲田大学蹴球部の先輩と日本サッカー協会とつながりのあるパリの旅行代理店の社長を通じて知り合い、そのご縁でフランスサッカー連盟(FFF)の幹部を紹介していただきました。

今ほど力がなかった当時のサッカー日本代表にとって、世界トップクラスのチームと対戦することはほぼ不可能でしたが、吉田さんにその足がかりをつくっていただき、フランス代表とも何度か試合を組むことができました。

FFFとのつがなりができ、ヨーロッパに拠点ができたことは、吉田さんのお力添えがあったからにほかなりません。

以来、吉田さんと親しくさせていただきましたが、渡仏した際、わざわざシャルル・ド・ゴール空港に車で迎えに来ていただいたときは本当に恐縮しました。忘れがたい思い出です。

生前中のご厚情に深く感謝申し上げるとともに、故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

公益財団法人日本サッカー協会

相談役 川淵三郎

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